ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札幌市電 帰り道

幌北電車庫を引き上げ、徒歩で麻生まで帰りますが、その途中でも撮影を続けます。

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北30条電停です。比較的新しい電停で、わずか2年かそこらで廃止ということになります。立ち位置の「ファミール札幌」は今でもあります。
初めて一眼レフを購入したカメラ店がこの近くにあったのですが、もう記憶がほとんどありません。「ミノルタXE」という機種で、今でも手元に残してあります。タムロンの80~250mmというズームレンズも一緒に購入したものの、これが欠陥品で絞りが作動せず、即交換してもらったことだけは印象に残っています。タムロンの名誉のため、交換品は10年間ほど使いましたが、その間一度も故障しませんでした。

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北37条。コカコーラの看板が聳えるビルは、つい昨年だかにマンションに建て替えられました。写真の左外には、今はヤマダ電機がありますが、もともとはボーリング場、そして市民生協だったものです。

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北37条~麻生町
麻生自動車学校が左手に見えます。こちらに向かってくるのは721号。元D1030形D1037号ディーゼルカーです(足回りなどは240形245号)。一つ目ヘッドライトが印象的で、1形式1両の希少車でした。

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麻生町。電車の向こうに建つ「札幌フードセンター」では、いつも遠足のおやつを買っていました。建設中のビルは「北海道銀行」。この銀行と街路灯だけは今でもほぼ当時のままです。電車を待つ女生徒らも変わり果てて・・・もとい、すっかりいい熟女となり妖艶なオーラを発していることでしょう。

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麻生の五叉路。正面に見える商店街も様変わりしましたが、「理容の山内」と「一力もち」は健在です。

フィルムが足りなくなり、終点の「新琴似駅前」は撮影できませんでした。それでもモノクロネガとカラーネガでの撮影も合わせれば、沿線を一通り撮影したことになりますから、一条線の廃止の時よりかはずっとマシでしょう。
二日後の4月30日をもって鉄北線は営業を終えますが、人込みは嫌いなので最終電車新琴似駅前電停で見送ることはしませんでした。
「北37条」、「麻生町」、「新琴似駅前」はわずか10年程の営業でしたが、小学生から高校生にかけての時期でしたから、今感じる10年間よりはずっと長い期間だったように思います。

昭和49(1974)年4月28日