札幌市営地下鉄 南北線の延伸工事が開始されるのに伴い、僅かに生き残っていた札幌市電 鉄北線の北24条と新琴似駅前間も廃止されることになりました。これは廃止10日前に撮影したものです。
まずは終点の「新琴似駅前」電停。ここで軌道は終わり。私の後方200mほどの所に、国鉄札沼線の新琴似駅があります。駅前というには、ちょっと距離があるような。あと少しだけ伸ばせなかったものでしょうか。左手には市営バスのターミナルがあり、国鉄よりも市バスとの連絡を重視した結果なのでしょう。
背後の建物は「札幌パワーボウル」というボウリング場。当時はオイルショックもあって、ブームが去った後でした。私がボウリングをしたのは大学生になってからでしたか。もう少し付近の様子も含めて撮っておけばなあ。
麻生町→北三十七条
背景にはデントコーン畑が広がり、その先には麻生団地の家屋が建ち並んでいます。デントコーン畑には今は「イオン」、かつての「ダイエー」が建っています。滅多に行かないので、今でも「ダイエー」って言っちゃいます。
そして「北三十七条」電停。麻生自動車学校の前になります。この教習所で免許を取得しました。
年配の女性の和服姿。この当時は和服で外出する女性はそう珍しくはありませんでした。鉄道写真を撮るのに、車両や列車だけでなく、こうした「風俗」的なものも写し込むと、その当時の様子を伺い知ることができます。勿論、この写真を撮った高校生の私は、そんなことなど露ほども考えていませんでしたけど。
路面ディーゼルカーの車体を流用した改造電車で、1形式1両のレア電車です。元D1030形D1037号で、足回りは事故廃車になった240形245号。D1030形はなぜか前照灯が1灯で、乗車扉は両開きという変わりものでした。D1030形の4両はA870形に改造されましたが、鉄北線にはいなかったので、目撃すらせずに廃車となりました。最後の路面ディーゼルカーとなったD1040形は、運転台のスタイルこそ大きく変わりましたが、D1030形のDNAを受け継ぎました。
左手に麻生自動車学校があります。今はビルの陰に隠れてしまいましたけど。
この10日後の5月1日、鉄北線は廃止されました。最終日の「新琴似駅前」電停は、見送る人たちで大層賑わったそうです。
昭和49(1974)年4月21日