ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-08

今日はちょっと毛色を変えて、スキャン済みのカラーポジの中から、未掲載と思われるものをアップします。

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札幌駅 DD15 26 昭和50(1975)年7月17日
真夏にDD15とは。入換の運用かと。

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函館駅 DD13 212 昭和52(1977)年8月31日
白帯がナンバーに食い込んでいます。急行「ニセコ3号」の車内から撮影。編成の中にはグリーン帯のスロ62が見えます。

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同上 DD13 214、DD13 212
函館駅構内では数両のDD13が同時に入換を行っていました。212号機が連結しているのは控え車です。

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苗穂→札幌 DD13 610 昭和54(1979)年5月25日

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宮崎機関区 DF50 533+DD16 54
前後のナンバーの地肌が朱色なのは九州仕様。
DF50が北海道にも配備されていたら、旋回窓を装備したでしょうか。

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苗穂駅 DD13 163 昭和54(1979)年11月10日
広い構内には車両がどっちゃり。煙は消えても活気がありました。

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北柏貨物駅 DD13 115 昭和55(1980)年10月17日
就職試験を終えての解放感に浸り、都内の路線をプラプラしながら撮影したものなので、な~んも記憶がありません。

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八王子機関区 DD13 60 昭和55(1980)年10月17日
強引ですな。かろうじてナンバーが読める、だけ。
車庫の上に掲示された2枚の赤い雷のような標識は、「この先、架線はないよ」の意味です。

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函館駅 DD13 515 昭和55(1980)年10月18日
控え車は「ヒ600」です。機関車が入換のために連絡船の船倉に入ると、機関車の重さで船が傾き、接続する線路にも傾斜が生じて安全に走行できなくなってしまいます(転動や滑走など)。そうならないように、機関車と船との間に距離を取るための貨車です。貨物の中にはDD13よりも重い機関車などもありましたが、牽引する機関車さえ大地の上の線路で踏ん張っていれば牽引には問題ありませんでした。

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同上 DD13 214
函館駅の構内では昼夜を問わず、いつも入換をやっていました。それを駅のホームから眺めていたわけですが、残念なことにあまり撮影していません。函館駅に限らず、ちょっとした大きな駅では入換は普通に行われていましたから、別に珍しくもなんともない、あまりに日常的な光景だったからでしょう。今、眼前に展開する光景は今だけのもの、歳を重ねてようやくそれを実感できるようになりました。