夏休みも終わりを迎え、いよいよ正式に配属される清水へ向かいます。
青函連絡船の写真は、恥ずかしながらほとんど撮っていません。あれだけ何度も乗船したのに「いつでも撮れる」と油断していたのか、単に興味がなかっただけなのか。確かに鉄道車両に比べると関心は薄かったのですが、時々、船内がどうなっていたのか無性に知りたくなることがあります。
船首の方を向いています。
グリーン席は、とうとう一度も利用することはありませんでした。シャワーと寝台も未経験です。夜行便を利用することが圧倒的に多かったのですが、昼の便に乗船した時に食堂は何度か利用しました。食堂はグリル何とかっていいましたか。喫茶は「サロン海峡」でしたかね。
どこの駅なのかははっきりしませんが土浦駅でしょうか。401系です。
近郊形電車と言えば、真っ先に111、113系が頭に浮かびますが、近郊形の車体を確立したのは401、421系です。低運転台がその古さの証でもあります。グリーン車はありません。401という形式は通勤形のような番号ですが、421と合わせて平均すれば411になるので、まあよろしいのではないでしょうか。
401、421系は最小4連で運用されました。日本初の営業用交直流電車ですが、あまり話題にはなりませんでした。
青森から乗車したのは急行「十和田」だったでしょうか。気紛れで下車して撮影した401系ですが、この後、401系を撮影することはほとんどありませんでした。
東京駅からは普通電車で清水へ向かいました。今度は富士駅で途中下車です。
身延線の旧型電車がホームに停車中です。この後、形式っぽい写真を撮るのですが、そのコマは別なところにしまってあるので今回はスキャンしませんでした。
まるまる一昼夜以上かけて清水にやってきました。なんか、もやもや~っとした気分を引きずっていましたが、この後の2年間におよぶ清水での生活は割と楽しかったですね。
昭和56(1981)年8月19~20日