札幌駅のホームで車両の写真を1ま~い、2ま~い、3ま~い、と。
スハフ42 508
北海道仕様のスハ43は700番代ですが、緩急車であるスハフ42の北海道仕様車は500番代です。
スハ32 824
何とも要領を得ない構図だこと。
オハ62 69
上に同じ構図。車体はスハ32よりもオハ62の方が新しいですが、足回りはオハ62の方が古い。
スハフ32 400とED76 503
札幌駅では機関車の付け替え、転線は日常的に見られました。
マニ50 2166
マニ50 2135
マニ50は50系客車とともに誕生しました。蒸気暖房の他に電気暖房にも対応しているので全部2000番代の番号です。
スユニ61 515
札幌駅の西側にはいつも荷物車や郵便車の姿が見られました。
キハ22 97
キハ40系と編成を組む場合には首都圏色の方が似合っている?あくまで個人の感想です。
キハ27 206
右側手前はキハ27 127。
キハ56 102
キハ56 19
キハ56 18
キハ56系の写真はいずれも急行「狩勝」で、釧路の車になります。前面に車両番号が書いていないのが釧路車の特徴です。
昭和55(1980)年6月29日 札幌駅
平成7(1995)年の9月4日は深名線の廃止日。3日が最終運転日。つまり今日は深名線の23回忌ということになります。曜日も同じ。普段はガラッガラな車内が、廃止前の夏休み辺りから混雑し出して、増結や臨時運転が頻繁に実施されました。車両が足りなくなり、苗穂運転所からもキハ40やキハ48、キハ56が応援に駆け付けました。最終列車は名寄駅を3両で出発し、朱鞠内で2両を増結、幌加内からは10両編成になりました。超満員の列車は、脱線するんじゃないかと思うほどのスピードで夜の深名線を突っ走ったそうです。上多度志駅では、最終列車が出て行った直後から撤去作業が始められ、木造の建物はショベルカーであっという間にペシャンコにされ、翌朝には整地されてバスの展開場となりました。
人が集まると頭のおかしなヤツが湧くのは当時も同じで、最終日には始発列車を幌加内駅で下車したオヤジが、最終日付の印刷された乗車証明書を貰えなくて車掌に食ってかかり、アホ面下げて騒いでいたっけ。突然の大雨に見舞われたけれど、場所によっては綺麗な虹が見られたところも。各踏切には警備員が配置されてご苦労さんでした。無謀にも朱鞠内~天塩弥生間で線路を歩く命知らずの若者が何人もいた模様。幌加内駅のさよなら列車出発式では、TV局のカメラマンはわざとなのか、こちらの撮影をことごとく邪魔しくさっていた。顔、写ってっからな。
などなど、次々と思い出が甦ってきます。合掌