1217列車 急行「すずらん5号」
1号車 オハネフ12 505(←ナハネフ10 505)
寝台車が最後尾という列車は、あまり例がなかったように思います。
3号車 オロネ10 505
4号車 スロ62 504(←スロ62 2041←オロ61 2041←オハ61 671←ナハ22316)
経歴、多過ぎ。もともとが木製客車だったなんて到底信じられませんが、まあ新製に近いですから。
5号車 スハ45 29
6号車 スハ45 35
7号車 スハ45 33
8号車 スハフ42 507(←スハフ42 257)
今更断るほどのことではありませんが、列車の編成端には必ず緩急車が連結されます。オハ60系やスハ43系の緩急車では車掌室が車端部にあって妻面には監視窓があるので、展望ファンには憧れの席でした。貫通部もそれはそれで楽しめましたが。
キハ21 40
キハ21 42
側面の傷みは何なのでしょう。現像ミスではありません。
キハ21 77
キハ21 78
キハ22 14
露出不足のせいで判然としませんが、出入口扉の下端部がちょっと妙です。切り欠かれているように見えますね。下の63号と見比べて下さい。
キハ22 63
キハ56 130
キハ20系編成の中にキハ56系が混じっていれば、迷うことなく56に乗車したものです。
518列車 急行「大雪10号」
隣の「すずらん5号」が邪魔して、編成前の方が撮影できません。
6号車 スハ45 4
7号車 スハ45 6
8号車 スハフ44 14
緩急車が編成端に配置されるほかにも、昔の客車は発電機の有るもの(電灯母車)無いもの(電灯子車)があったので、それらをキチンと組み合わせなければならなかったので組成には頭を使ったことでしょう。そうそう牽引定数も守らなければなりませんでした。
418列車 急行「狩勝8号」
DD51 639
釧路の車は、律義にラジエターカバーを取り付けていました。
オユ10 2524(←オユ10 2507)
マニ50 2146
1号車 スハフ44 101(←スハ45 8)
外観はスハ45そのもの。一番手前の車掌室になった窓だけ木枠のまま。
2号車 スハ45 2
3号車 スロ54 505(←スロ54 28)
4号車 オロネ10 503
北海道の5月はまだ肌寒く、どの車両からも暖房用の蒸気が漏れています。
5号車 スハネ16 511(←オハネ17 511←スロハ32 40)
31D 特急「オホーツク」
昭和55(1980)年5月10日
写真画像やビデオ映像のファイルを外付けHDDに保存していますが、正直、いつ壊れるか心配でなりません。一般には異なるメーカーのHDDにも同じファイルを保存してファイル喪失の危機を回避すると言われていますが、台数が多いのでそれもままなりません。今、PC近傍に置いてあるものだけで10台、別の場所にも20台くらいあるので、それを全部コピーするとなると60台は必要になります。どっひゃ~。
テープに記録したビデオ映像は、ファイルを喪失しても再生機器さえあればキャプチャをし直せば済みますが、ファイル形式で撮影した今時のビデオ映像やデジカメの写真は、消えてしまったらそれで永遠の別れになってしまいます。
ビデオ映像は、一部ながら念のためにBDにも保存していますが、これとて数百枚にもなりますからね。場所を食って仕方がありません。
敢えて申し上げますが、ビデオテープの保存とて全く安心できません。家庭用のテープは所詮一時しのぎのようなものです。経年劣化やカビの発生で、いつ再生不良になってもおかしくありません。さっさとファイル化することをお勧めします。