ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

秋のふるさと銀河線

ふるさと銀河線の廃止が報道されたことで、友人が「メモリアルビデオ」を作りたいと提案してきました。地元の鉄友と一緒に、ふるさと銀河線に入れ込んでいたその友人にはさんざん世話になっていたこともあって、いくつかの条件を付けてではあるけれど、まる1年をかけて制作にあたることにしました。それから毎月の撮影行が始まりました。深夜に札幌を発ち、早朝の1番列車から撮影を開始し、その晩は地元の温泉に浸かりつつ1泊、翌日も朝1番から撮影して深夜に札幌に帰宅するという、結構ハードなスケジュールでした。GWにはそれが2泊となったりしましたが、そんなことを丸1年通して撮影に励んだものです。

今回の画像は、秋の撮影の初日になります。二人とも雨男の称号を授与されてもおかしくないほどに、撮影に行けば必ずと言っていいほど、雨や雪の洗礼を受けました。この日も朝からどんよりした天候で、時折小雨がぱらついておりました。

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6:27 置戸←小利別 721D

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6:55 小利別←置戸 710D
上の2枚の画像は、何度も通った釧北峠です。かつては信号場のあったところで、人家がほとんどないので駅間距離が非常に長い区間です。この区間の置戸寄りでは、最終日の最終列車が通過した後に、その日の大雨で路盤が緩み、道床が崩れてしまったという、際どい災害がありました。銀河線の呪いだろうか。

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8:20 豊住←置戸 745D

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9:09 置戸←小利別 711D

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10:06 置戸→小利別 702D

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12:07 北光社→上常呂 744D

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広郷→上常呂 713D

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14:30 北見→北光社 714D

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置戸←小利別 702D

この日は一日中どんよりした天気でしたが、翌日にはすっかり回復し、朝から気持ちの良い撮影ができました。山もあれば谷もある、それは撮影にも言えることですね。

平成17(2005)年10月15日

撮影にあたっては、遠距離撮影なのでその経費をねん出するために、四季ごとの作品や展望作品のDVDを制作して、その売り上げを充てることにしました。

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秋には、有志で運行した臨時列車を使用して、往復、全区間の展望撮影を行いました。他に区間は限られますが、四季を通して行っています。撮影に当たっては、勿論、鉄道会社の許可をもらいました。

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上記、四季の4作品は、前金によるセット価格で予約販売したものです。通常より少し高めの価格で頒布しましたが、以下の2作品を無料で配布したので、実質的は割安になっています。

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鉄道会社協力の下、最終日の様子を密着取材で記録した作品です。3人がかりで、本別、足寄、陸別、置戸、訓子府の各駅の様子や、さよなら列車・最終列車を記録しました。
鈴木宗男氏と行動を共にした松山千春さんが、足寄駅で挨拶の際、いきなり歌い出したので会場は騒然としました。マスゴミのクズどもは、ふるさと銀河線の廃止よりも松山氏を追っかけて、そのバカっぷりを遺憾なく発揮していました。その様子を友人が、駅から指示された最良の位置で撮影しております。一方、私は本別駅で撮影を終えると陸別駅へ移動し、さよなら列車から下車してきた両氏の挨拶を撮影しました。マスゴミに混じって、最終日にしか見かけない葬式鉄の姿もありましたね。足寄駅で撮影を終えた友人は訓子府駅で引き続き撮影というように、日中は二人で4つの駅の最終日の模様を記録しました。訓子府駅では、なすび氏が取材陣を引き連れて駅長に挨拶していましたね。
夕方以降は、足寄駅、陸別駅、置戸駅、訓子府駅の各駅務室にお邪魔してカメラを回しました。雨も酷くなり、ずぶ濡れになりながら最終列車などを撮影しました。ビデオカメラが雨に濡れて、よくぞ漏電して壊れなかったものだと思います。照明も焚いていたし。


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これが、鉄道会社の社員向けに配布したDVD。ナレーションはふたつのバージョンで収録し、それが女声の「1.建前バージョン」と男声の「2.本音バージョン」です。社長(=北見市長)には渡さないと思っていたので、言いたい放題やらせてもらいました。
大雪時の排雪シーンこそ収録できませんでしたが、点呼~仕業点検~運転指令~要部検査といった市販ソフト並の現場映像は、各職場の協力を得てガッツリ記録させていただきました。また、付き合いのあるプロダクションからは、少し古めの貴重な映像を無料で提供していただき、開業当時のものこそありませんが、映像的にはかなり充実した内容を揃えることができました。勿論、走行シーンに関しては、四季を通して様々な角度から記録していましたから十分すぎるほどあって、編集で切り捨てるのが辛かったほどです。
JASRACを通して、市販の曲の使用を願い出ましたが、肝心のレコード会社に拒否されてしまいました。でも結果的には、市販の著作権フリーの曲を使って良い仕上がりになったと自画自賛。権利ばかりを重要視する閉鎖的な姿勢は、いずれしっぺ返しを食らうことになるのではないでしょうか。
廃止日には丸一日かけて二人がかりで全駅を撮影しましたが、どの駅にもゴミが落ちていなかったことに驚きました。深名線でも最終日は大雨でしたが、翌朝の幌加内駅には紙テープなどが散乱していました。最終列車を見送った人たちの心遣いの違いを見せつけられた思いです。
わずか3人だけで1年かけての撮影でしたが、それなりの結果を残せたことに満足し、またDVDを受け取った社員の方々から礼状を送っていただいたこともあり、ブライダルの時と同じ無料配布とは言っても、貴重な映像とともにいい思い出も残すことができました。
友人や協力者・関係者にはただただ感謝するばかりです。