久々の清水港線の写真です。実際にはあんまり撮っていないのですが、その中からちょぼちょぼと。
折戸←三保
当時住んでいた独身寮近くの踏切です。今はとっくにありません。寮も線路も。列車を見送る少年は何を思う。
折戸←巴川口
だったような気がしますが、撮影した時の状況がほとんど記憶に残っていません。もしかすると独身寮の窓から撮ったのかもしれませんし、そうでなかったのかもしれません。清水から三保へ向かう地域は湾になっていて、そこをぐるりと回り込むように線路は敷かれていました。
清水埠頭~巴川口
巴川橋りょう。通常、中央の橋桁は上昇し、船舶の航行を優先していました。
巴川口→清水埠頭
旅客の最終列車。といっても、1日に1本しか走っていませんでしたけど。つまり上りの始発列車=上りの最終列車。列車はなくとも、線路の沿道を静鉄バスが頻繁に走っていたので、不便は全くありませんでした。
巴川では釣り糸を垂れている人を良く見かけました。興味はなかったので、何が釣れたのかは分かりません。
昭和56(1981)年9月20日
PCを導入してから使い続けていたプリンターが遂に逝ってしまいました。10年以上になります。これまでに何度か修理に出しましたが、流石にもう古過ぎて修理してもらえません。いきなりインクが全く出なくなってしまったのです。それまで普通に印刷できていたのが、少し時間をおいて「さあ次の印刷」と取り掛かったら、ダメになっていました。こういう時のためにと、保管していた予備の同機種に差し替えましたが、波長を合わせるかの様に印刷できなくなっていました。素晴らしいシンクロニシティです。仕方ないので、別機種の予備機を本務機に昇格させることにしました。したっけ、今度はドライバーおかしくなったのか、「通信ができません」とかメッセージ出しながら、ちゃんと印刷しとる。まともにね。悪びれているけど、本当はいい人、みたいな。でもまあ、ドライバを入れ直したら、メッセージが消えて普通に印刷してくれました。逝かれたプリンターのインクはもう不要になりますが、未使用が10本以上あります。ヤフオクに出すのも面倒臭いし、燃えないゴミにして処分しましょう。思いっ切り期限切れだしね。あ、それがいけなかったのかな?