ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

智東駅

宗谷本線へ撮影に出かけた際、ふらりと立ち寄った智東駅。なんでこんな所に駅があるの?という、今なら秘境駅と呼ばれるにふさわしい、周辺になんも人家のない場所にポツリとありました。貨車駅なので格別、思いを寄せることもなく、写真を撮り終えるとさっさと立ち去ってしまいましたが、平成18(2006)年3月に廃止されてしまいました。ま、当然っちゃ当然と思いました。

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御多分に漏れず、この駅もかつては列車交換ができて貨物扱いもやっている普通の駅でした。駅舎は、この時の待合室とは反対側の、いわゆる山側に建っていたそうな。ネットをググれば当時の写真が見つかります。でもまだ道路があるだけマシ。この駅の5年前に廃止になった上雄信内駅なぞは、ろくに道もなく、畑の中を通らないとたどり着けない駅でした。農家の人の専用駅だったのかしら。

平成10(1998)年10月4日

昨日の午前中に、六角精児氏が、札沼線で旅をする番組をやっておりました。呑み鉄でもするのかと思いきや、極々普通の旅番組で呆気なかった。列車の旅ならではの内容に期待していたのだけれど、普通に車で行けちゃう内容でした。石狩当別を出て、いきなり石狩金沢で途中下車とは、仕込みの臭いがプンプンしました。一体、どんな切符を買っていたのかな?車なら半日でできちゃう旅を、わざわざ不便な鉄道で二日間も使っちゃうなんて、かなり普通ではないです。終点の新十津川駅で下車した六角さんは、石狩当別行の最終列車をホームで見送ってしまいましたが、その後一体どうしたのでしょう。やっぱりHTBが用意した車に乗って札幌へ戻ったのかな。