小田急の特急用車両が国鉄の線路で試験運転するのは、SE車3000形以来のことでした。小田急と国鉄が協力してSE車の高速試験走行にのぞみ、昭和32(1957)年9月27日、函南~沼津間で当時の狭軌鉄道の最高時速である145kmを記録しました。この時、車両にはまだ余力があったとされていますが、契約上、145km/hに達したことで試験は終了しました。なぜに小田急はSE車の試験運転をわざわざ東海道本線で行ったのかというと、小田急には、高速試験ができる長い直線区間を有する路線がなかったからです。一方国鉄としても、特急電車の開発を進めるうえで好機と捉え、時の国鉄総裁、十河信二はこの試験運転に積極的だったと言います。151系「こだま号」そして東海道新幹線の生みの親とも呼ばれた人です。
それから25年、SE車からNSE車3100形、そして新形式のLSE車7000形が昭和55(1980)年に登場し、伝統の朱と灰色をまとった連節構造車体で東海道本線を駆け抜けたのでありました。
と、前置きはともかく、試験列車が来るまでうだうだと国鉄列車を撮影しておりました。
上り列車がやたらスパークを飛ばしていたので、つい撮ってしまいました。
そして真打の登場です。あっという間に通過していったべさ。前回の183系との比較だったようです。何の比較かだって?それはウィキなどで調べて下さい。
昭和57(1982)年12月12日 湯河原~真鶴