ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

北四線にて

何かもうタイトルにひねりが無いですね。前にも記した通り、この頃は「北四線」という地名というか路線名は知りませんでした。

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どこかで見た画像。ちゃんちゃん。
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17:13 153D 小沢←倶知安 北四線踏切を通過します。
長万部発、滝川行きの普通列車で、張碓だけ通過します。この当時、張碓駅に停車する列車は上下とも6本ほどあって、海水浴シーズンには更に7本ずつ臨時停車しておりました。

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辺りをウロウロと場所探しですが、なかなかこれといった場所が見つかりません。
踏切に戻ったところで
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17:37 132列車
結局、踏切で撮ってるじゃん。ところでこの132列車。急行「ニセコ」からC62が引退した後に、ファンによる延命嘆願を受けて、国鉄がC62に余命を与えたのがこの列車でした。小樽発、長万部行きです。残念ながら一度も撮ることはありませんでした。因みに対になる列車は137列車でした。

そして真打登場です。
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シャッターチャンスがよう分からんとです。

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どうあっても、普通に素直に撮れないようです。

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本務機は三つ目の710号機。踏切通過中。ガッツリとトリミング。

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18:14 小沢←倶知安 急行「ニセコ
荷物車、郵便車、グリーン車のない8両編成。急行「ていね」だった頃には食堂車も付いていたのに・・・。牽引機は勿論、C62重連で。

達成感や充実感があったかどうかはもう記憶にありませんが、おそらく道をとぼとぼ歩いて駅に戻ったのでしょう。えらい苦労した記憶もないので、歩いた疲れはそんなになかったのでしょうかね。若いって素晴らしいです。

北四線踏切で普通に撮影するのは、「C62ニセコ号」の運転終了後でしたから、ざっと10年以上後になってからということになります。天邪鬼、ここに極まれり。

昭和58(1983)年5月2日

フィルム1コマ用の袋が底をついたので、また注文しました。1000枚注文したのがついこの間だったような気がするのに、もうなくなってしまって、また1000枚の追加注文です。1000枚といっても、高々36枚撮りフィルム30本分にしかなりません。空いた防湿箱も欲しい人が現れないので、いよいよ捨てることになりそうです。あ、何かの物入れにでもしましょうかね。現ナマとか。永遠に空気だけだな。