高松から特急「しおかぜ5号」に乗車して松山へ向かいました。この日の宿は松山です。生憎の天気で列車の走行シーンは全く撮ることなく過ごしてしまいましたが、せめて松山では路面電車でも撮っておこうと考えました。
どこの駅弁だったか。お昼を少々回っていたので少し遅めのお昼でした。
15:14 伊予冨田駅
「しおかぜ4号」と行き違いしました。珍しくメモしておりました。
松山到着です。天気は相変わらずパッとしません。
先に宿にチェックインして余計な荷物を置き、それから電車通りをブラブラ撮影したように思います。
大手町駅で上下線の列車が行き交い、その間踏切は閉まりっぱなしです。
この先にお堀があります。市民会館がありますが、左手の山の上には松山城が聳えています。
電車の屋根越しに見えるでしょうか、お城が。恥ずかしながら、この写真を見るまで気づきませんでした。歴史に興味がないので、お城も対象外だったし。
お堀越しに撮ってみます。梅の花が咲いていますが、この天気では冴えませんね。
白鳥が二羽、優雅に泳いでいます。結構、肌寒かったような記憶があります。
雨が止まないので、適当に切り上げて駅の方へ戻りますが、この場所はどこだか分かりません。
大手町のクロッシングに戻ってきました。
お腹も減って来たので、どこかで食事をしようと思い、路地中をウロウロしていたら、数人の客引きに行く手を阻まれ、おまけに羽交い絞めにされてしまいました。「いい店あるよ~、なあ~行こうよ」などと甘ったるい声を耳元で囁かれましたが、「わり~、これから飯食いに行くとこ。腹減ってんだわ」とか言ったら、すぐに開放してくれました。手近な居酒屋に入って、ビールと何かを食し、いい気分になったところで宿に引き上げました。いよいよ明日は最終日です。
昭和59(1984)年3月19日
小松島港駅の記事と今回の記事に掲載した写真は、サクラクロームで撮影したものです。コニカミノルタの前のコニカの前の小西六の商品名で、ネガフィルムはサクラカラーといってました。小西六は国内で初めてカラーフィルムを製品化した偉大な会社で、最初はシェアの上でフジカラーを圧倒していたそうです。また、カメラの分野でも世界で最初にオートフォーカス機能を搭載するなど、実に先進的な企業でした。
まあ、そんな企業の歴史をここで語っても仕方ありません。
で、このサクラカラーですが、天気のせいもあったのかもしれませんが、コダクロームに比べると品質は残念な気がしてなりません。鮮鋭度、発色とも。富士フィルムがプレビアやブロビアを開発して、コダック製品を追撃するにはまだ時間がかかりますが、当時のフジクロームもサクラクロームと同じ程度でしたから、これはこれで良かったのかもしれません。でもフィルムの品質とは関係ありませんが、この撮影したフィルムのマウントをバラすと、全てのコマで切断箇所がずれていて、隣のコマの端を食っているのです。マウントにすると隠れて見えなくなりますが、何か腹立たしい。おまけに、マウントの接着糊がフィルムに付着しているし。10年前のフジクロームかよ。(1984年当時、フジはプラスチックマウントを使用してました。糊不要で使い回し可能な優れもので、コダックの紙マウントもカスに思えます。)