ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

多度津駅前の58685

多度津機関区での撮影を終えて、多度津駅に戻り、駅前に静態保存されている58685を撮影しました。生きている機関車と比べると、単なる置物のようにしか見えないので、あまり食指は動きませんが、全く縁のなかった機関車なので物珍しさで撮ったような気がします。龍ヶ森の三重連とか見たかったものです。

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この当時は、駅のすぐ前に置かれていたような気がします。

四国には、輸送量の関係で重量級の機関車の配置がなく、中規模の機関車が活躍していました。この8620形式やC58形式、それ以前には6760形式なんかが主力機関車として奮闘していたわけです。
蒸気機関車の代名詞とも云えるD51形式も短期間だけ稼働したことがあるそうですが、意外にも大型のC59形式が高松機関区にやってきたことがあるそうです。あろうことか、列車の牽引ではなくお風呂の湯沸かしに、つまりボイラー代用として活躍したそうです。特急列車を牽引する花形機関車らしからぬ扱われ方ですが、その頃は活躍の場であった山陽本線も電化が進み、余剰が出ていた時期だったようです。

それにしても58685のナンバープレートの書体がどうにもピンときません。JR九州の58654のようなスタイリッシュな書体だったら雰囲気はずっと良くなるのに。でも現役時代からこのプレートだったようですね。

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高松駅 キハ55系、キハ40系、キハ58系、キハ40系が並びます。
撮影を終えていよいよ四国ともお別れです。手前のキハ47の列車の先頭はキユ25。なんで撮っておかなかったんだか。

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伊予丸に乗船し、宇野港ではホーバークラフトを目撃。一般の船で1時間を要するところを、僅か23分間で宇野港高松港とを結んでおりました。でも運賃500円に対して急行料金が1100円もする66名だけの定員制なので、利用しづらい側面はありました。この後、岡山からは味気なく新幹線で帰宅しました。

最初で(今のところ)最後となった四国旅行は、撮影の上では決して満足のゆくものではありませんでしたが、車内録音では、そこそこ貴重なアナウンスを記録できたので、総合的にみればそれなりの成果があったと言えるでしょうか。

昭和59(1984)年3月20日