ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

清水港線廃止まで一週間(その1)

3月31日をもって廃止される清水港線を惜しみ、その前の週に最後の訪問をしました。最終日は人が集まり過ぎて行く気にはなれなかったのと、その日は学生時代の友人と会う約束をしていたから。

イメージ 1

イメージ 2
静岡駅
1984年2月に、都市圏における列車の短編成・高頻度化(フリークエントサービス)によって誕生した「するがシャトル」。札幌圏の「くる来る電車ポプラ号」のようなものです。短編成化によって不足する先頭車は、中間車を改造して賄いました。

清水駅に到着すると、前の職場の女性社員に会いました。友人を見送りに来たのだとか。せっかくなので、駅前のサ店で少々おしゃべりをしてしまいました。その後、独身寮に荷物を置き、カメラと傘だけを持ってまずは三保駅へ向かいました。
イメージ 3
寮から三保駅まで、線路際を歩いて行ったようです。いかにも通路といった風に「整備」されています。遠くに客車が留置されていますが、そこが三保駅です。

イメージ 4
踏切から、駅舎とは反対側の道路に出て、構内の様子を眺めます。

イメージ 8
左端にタンク車が写っていますが、車両は1枚も撮影しませんでした。

イメージ 5
駅に行くと、上り列車に乗車する人たちが行列を作っていました。駅舎が小さいですが、貨物主体の駅で、旅客輸送はついでだったので。駅前にある腕木式信号機はモニュメントです。

イメージ 15
さよなら列車の運転は、翌日とその次の週の二日間だけです。2月と同じように土日の運転というわけではなかったようです。

イメージ 6

イメージ 7
静鉄バスの停留所も名前が変わるのでしょうね。でも、実際に変わったのは随分後になってからだったように思います。今は「三保ふれあい広場」となっているようです。で、静鉄バスに乗って巴川口へ行きました。上り列車をどこで撮ろうか辺りをウロウロしましたが、どうもピンとこないので、清水埠頭駅まで足を伸ばしました。その近くには、かつて清水市内を走っていた路面電車が保存されていたので、これと絡めて撮れないだろうかと考えたのです。
イメージ 9
静岡鉄道清水市内線で働いていた車両ですが、昭和49年の七夕豪雨で全線水びだしとなり、そのまま廃止されてしまいました。
イメージ 10

イメージ 11
踏切が見えますので、列車と強引に絡めることは可能です。でも、信号機とか樹木が邪魔で邪魔で。で、反対側へ行ってみました。

イメージ 12
埠頭側からだと、かろうじて市電の姿が見えて、電柱は邪魔だけれど、まいっか、ってなもんでカメラを構えていると、DD13ではなくDE10が牽引してきました。ここでDE10なんて初めて見ました。

イメージ 13
走って清水埠頭駅へ行ってみると、のんびりしたものです。まだ発車前でした。線路がカーブしているので、先頭の機関車の姿が建物の影になって見えません。意外にも「さよなら」のテールマークはありませんでした。

イメージ 14
また明日。

イメージ 16
鬱陶しい雨の撮影は何とも気が滅入ってきます。なので、その晩は同期の連中と町へ繰り出し、ハシゴしてしこたま酒を飲んで、夜中、気づいたら寮のトイレでしゃがみ込んでいました。ウンコしながら寝ていたという訳。

昭和59(1984)年3月24日