ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

富士川橋りょう流失

昭和57(1982)年7月末に上陸した台風10号は、紀伊半島から中部地方を抜けて東北地方までの広い地域に大きな被害をもたらしました。そうした中、鉄道ファンに衝撃的だったのは、東海道本線 富士川橋りょうの流失でした。河川中央部の橋脚が流され、それに載っていた橋りょう4連が落下、流されてしまったのです。

イメージ 1
一番手前が廃止されていた旧下り線、その奥が現行の下り線、そして一番奥の列車が走っているのが被害を免れた上り線の橋梁。

イメージ 2
ぽっかりとトラス橋が抜けていますが、その中間に橋脚がありました。一番上流側の下り線は無事で、下流側にあった2基の古い橋脚が流されてしまいました。その結果、橋脚に載っていた4本のトラス橋は川へドボン。

イメージ 3
流された橋梁に引きずられ、レールや架線が垂れています。河川敷には流木などが残っています。

イメージ 4
近づくとこんな感じ。すっかり水は引いていますが、爪痕は大きい。YouTubeには橋が流された後の川の映像がアップされています。

イメージ 5
下流側にはトラス橋の残骸があります。右端は新幹線の富士川橋りょうで、こちらは無傷。在来線と離れていたお陰でしょう。

イメージ 6
ちょうどお昼時で、作業員の方々はお弁当タイム。なんかシュール。ここまで富士川駅側(右岸)から見た光景です。

イメージ 7
国道の橋梁から眺めます。古い橋梁はトラス橋で、新しいのは鈑桁。足回りが見えないので中路橋か。トラス橋の残骸が奥に見えます。

イメージ 8
ここからは富士駅側(左岸)から見た光景です。上流から流されてきた泥が堆積しています。

イメージ 9
河川敷に乗り上げて置き去りにされたトラス橋。緑色なので、下り線のものと思われます。

イメージ 10
多くの乗客が窓から眺めています。

イメージ 11
色々なものがトラス橋に絡みついています。レールも一部だけ、枕木付きの状態で橋と一緒に落下しています。

イメージ 12
おお、EF58がムド(無動力回送)だ。通過する列車も気になります。

イメージ 13
復旧工事は急ピッチで進められ、橋脚1基と2径間の連続ワーレントラス橋を、わずか2か月半で完成させ、10月中旬に下り線が復旧しました。さすが天下の横河橋梁。それまでの間、富士~富士川間ではタブレット閉塞が行われていたそうです。

せっかくなので、新幹線も撮影しました。
イメージ 14

イメージ 15
日本の土木技術は世界的に見て一流と言われていますが、自然災害の前にはひとたまりもありません。青函トンネル本州四国連絡橋といった巨大構造物が、大規模な地殻変動にどこまで耐えられるのか。もっとも、それらが崩落するような大災害が起こった時には、多くの都市でも日本沈没級の大きな被害が起こるでしょうけど。空中都市008やスペクトラム基地、あるいはラピュタといった浮遊都市でもない限り、自然災害から逃れることはできません。(←夢物語)

昭和57(1982)年8月8日 富士川~富士