ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

工事中の富士川橋りょうを通過

台風10号による増水で、一部の橋脚と橋梁を流失してしまった東海道本線富士川橋りょうですが、その後、どうなったのか確認しようと、買い物で上京する時に列車の窓から観察しました。

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清水駅にはいつも貨物列車が停車していました。この日も在来線で上京します。

 

乗車した列車は分かりませんが、富士川駅を過ぎたところで窓からカメラを出して構えます。右端が廃線の旧下り線の橋梁。薄緑色の中央が現在の下り線橋梁。

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富士川~富士

驚いたことに、災害からひと月半しか経っていないのに、すでに橋脚工事とトラス橋の架設が始まっていました。鋼板の材料発注だけでも通常だと1か月はかかるというのに、一体どんな工程だったでしょう。(ネット上の記事によると、当時建設中だった三陸鉄道向け鋼材を転用した模様。)標準橋梁らしいので、図面は既存のものを流用したにしても、あまりにも短期過ぎます。工場では仮組立検査は行ったのでしょうか。

部材は錆色に見えますが、耐候性鋼板なのでしょうか。現在は緑色の塗装が施されていますが、耐候性鋼板の場合、発生した錆が塗膜の役割を果たすので、機能上は無塗装で問題はありません。ただし景観上は「いかがなものか」という指摘があるので、焦げ茶色系の特別な塗料で塗装されるケースがしばしばあるようです。この塗料だと、劣化して鋼材が剥き出しになっても、安定化した錆と残っている塗装との見分けがつきにくく目立ちません。今、札幌で解体の是非が問題になっている「北海道百年記念塔」も耐候性鋼板で建設されていますが、かなり腐食が進んでおり、一部落下した部材もあるとのことで、安全な構造に補修するためには莫大な費用を要するということで解体の方向で話は進んでいるようです。

もうひとつの注目は、既存のトラス橋と新橋とを結ぶ上弦材(連結構?)の上にクレーンが載っているところでしょうか。この上弦材は現在でもそのまま残されており、その形状の異様さもあっていささか奇妙な構造に見えなくもありません。

なお橋脚を設置するにあたり、川の流れを変えています。

 

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「あさかぜ4号」でしょうか。原駅で追い抜かれます。

 

東京では雨のぱらつく神保町の古本屋街を散策し、鉄道関連本を漁ったようです。清水や静岡の古本屋では、鉄道本の品揃えはパッとしませんからね。途中「金玉堂」と書かれた看板を目にしてビックリしましたが「こんぎょくどう」と読むんですね。当時、アラサーだった中島みゆきさんが、ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」の中で「キンタマ」とか「ふぐり」とか口にしていたのを思い出しましたよ。番組の始まりには「オールナイトスッポンポン」とか叫んでいたし。

 

昭和57(1982)年9月19日