「はやたま」に乗車した晩に、近畿・中部・東海・北陸・東北地方と、広域にわたり襲いかかり甚大な被害をもたらした台風10号は、富士川の流量を増大させ、東海道本線の富士川橋りょうの橋脚を押し流してしまいました。そしてその上の橋梁は落下。
その具体的な被害などについてはウィキに譲るとして、その現状を見ておきたいと思い、富士川駅で下車しました。富士駅からよりも近いので。
↓ウィキ
ja.wikipedia.orgで、現場。
ちゃうちゃう。新幹線の方は無事や無事。一応、すれ違いが撮れたけれど、なんか微妙。
手前の旧下り線(廃線)と、現行の下り線のトラス橋が、2径間分、4本が落橋し、下流に流されてしまいました。列車が走っているガーダー橋が現行の上り線。橋脚は海まで流されてしまったのか、見当たりません。
新幹線も気になります。
レールや架線が川に垂れさがっており、落橋したトラス橋は、1本だけが向こう岸に留まっているようです。
県道396号線の富士川橋梁から。
富士駅側に渡って、落下したトラス橋を見に行きます。
渡り切ったところで何か列車が来ないかなと少し待ちましたが来ません。
近所の人なのか、一般の人たちが河原を散歩しています。特に立ち入り規制がないようなので、横たわるトラス橋に近づきます。
緑色なので、現行の下り線のものなのでしょう。横倒し状態で、左が下側、右が上側になります。廃線トラス橋の5年後くらいに製作されたらしく、形状は似ています。
工事関係者の方でしょうか。お昼休み?
上弦材です。横梁や構材が潰されて、両弦の間隔は狭くなっています。時代を物語るようにリベットが無数に並んでいます。
レールや縦桁などが見えます。列車が通過するタイミングで撮影するので、効率が悪いです。撮った・撮ってないが分からなくなっています。
おっと、回送EF58が連結された貨物列車が。
もう十分撮影したと思い込んで、撤収します。今見ると、全然撮り足りていません。
帰りしなに、ちょうど急行列車がやってきました。
復旧までの間、富士~富士川間はタブレット閉塞で上下列車は運転されたと聞きますが、富士川や富士の駅で、タブレットのやり取りをしていたところは見てもいません。認識不足ここに極まれり。
なお下り線の落橋区間には新たに橋脚が1基設置され、その上には2径間の平行弦ワーレントラス橋が架けられて、わずか2か月半で全面復旧したというのですから、もう驚き以外の何物でもありません。すっげ~横河。
富士駅へ向かう途中、車両基地があったのでちょっと覗いてみました。
運良く、お座敷列車が通過してゆきましたが、発煙筒が何だかな~。
完全に敷地内に潜入した模様。クモハ12001やら113系モドキのモハ62系やら。
事業用車のクモヤ22。
当時の国鉄は、このくらいにゆるゆるだったと言い訳しても、不法侵入に変わりはありませんね。でも記録に残すことを優先するのも、時には必要かと。でないと、歴史は闇の中に埋もれてしまいます。と、改めて言い訳。
もうちょっと接近して真面目に撮れよと言いたくなりますが、帰りの電車まで時間がなかったと言い訳しておきます。このちょっとした面倒臭さを受け入れるか切り捨てるかが、その人のカメラマンとしての資質になるでしょうかね。オラ、ダメだわ。
昭和57(1982)年8月8日