ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

「SL紀行陸東号」

陸羽東線に蒸機列車が運転されると聞き、早速撮影計画を立てました。といっても、俯瞰撮影しか頭になかった私は5万の地図を睨み、まず鳴子駅の北側に面する山に目を付けました。電波塔だか何だかの施設があるので、ここからきっと駅が見えるだろうとアタリを付けました。地図には描かれていませんが、施設だから当然、道もある筈です。

前夜、急行「津軽」に乗車し、翌早朝、新庄で下車。急行「津軽」はこの9月に14系客車から583系電車に変更されたばかりでした。新庄から朝一番の小牛田行き1728Dに乗り換えて鳴子で下車しました。
紅葉にはまだ早い時期ですが、当然、名所「鳴子峡」では大勢のファンがひしめいているでしょう。ここで記憶にあるのが、橋の欄干に三脚を括り付けての場所取りです。鳴子駅からはいささか離れているし、山へ上がるには反対方向なので行く筈はないのですが、このはっきりした記憶は一体何なのでしょう。
まあ、そんなどうでもいいことは脇へ置いておいて、鳴子駅を出ると東鳴子方面に出て江合川を渡り、それから山裾を左回りで裏の方まで回り込み、ダムの管理事務所の前を過ぎて1kmほど行ったところからいよいよ山道に入ります。でもこの山道、途中までは車で行けました。1台、止まってましたから。35mmカメラ2台、ビデオカメラ1台、三脚2本を担いでいたのでそれなりの負荷だったと思うのですが、あまり苦労した記憶がないのは、それだけ若くて元気があったということでしょうか。到着すると、すでに先客の方、2名がおられました。お互いにちょっとビックリ。途中で見かけた車でやってきたとのこと。互いに名刺交換して雑談もそこそこに、彼らから少し離れた場所に三脚を立てて撮影の準備に取り掛かりました。写真用とビデオ用です。

イメージ 1
09:15 東鳴子(現 鳴子御殿湯)←鳴子 3720D 快速「いでゆ」

イメージ 2
えらく遠くに列車が見えました。煙がなければ分かりません。

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5
10:40頃 東鳴子←川渡(現 川渡温泉) 9711列車
フレーミングを色々変えて撮ります。この間、ビデオカメラも構図を変えているので結構忙しい。風が強かったので、ビデオ映像はブレブレでした。

イメージ 6
ようやく近くへやってきました。
イメージ 7
10:45頃 東鳴子→鳴子(現 鳴子温泉
まもなく駅に到着するというのに煙を吐いています。

イメージ 8
10:50頃 鳴子駅
ここで736Dの到着待ちです。

イメージ 9
10:52 鳴子→中山平(現 中山平温泉
力闘感あふれて中山平へ去ってゆきました。

ビデオの成果

昼からは調子づいて堺田と羽前赤倉との間にある山に上がりました。地図と車窓でアタリを付けていた場所です。山道があったので比較的楽に上がれたような気がします。因みに堺田にもスキー場があったのですが、こちらからは沿線の樹木に線路がすっかり遮られていたようです。
イメージ 10
14:34 堺田→羽前赤倉(現 赤倉温泉) 747D
橋りょう付近の駐車帯には、すでに鉄ちゃんの車が何台も停車しています。奥のなだらかな斜面がスキー場。

イメージ 11
15時過ぎ 堺田←羽前赤倉 9712列車
後追い撮影と分かっていても、ここまで蒸機列車だか何だか分からない状態になるとは。列車とともにサイレンを鳴らしながらパトカーがやってきて「道路は駐車場ではないので、速やかに移動しなさい」と注意を呼びかけますが、撮影している最中なので動く筈などありません。注意するならもっと早く来ないとダメでしょ。

俯瞰2連発でいささか疲れましたが、自分だけの絵が撮れたのでそれなりに満足して1日目を終えました。

平成2(1990)年10月20日