ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

春先の札沼線

dd51 1135様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和60(1985)年4月14日

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下徳富駅

左端の白い小振りの建物が下徳富駅の駅舎です。右端にチラッと写っているスロープは、貨物ホームかもしれません。とっくに貨物列車は廃止されていましたが。

 

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新十津川駅

何と腕木式信号機が残っています。おそらくモニュメントだったのではないでしょうか。駅名は「しんとつがわ」と「が」が濁ります。この頃は滝川駅から派遣された職員が窓口業務を行っていたようです。116号は初期車の最終番号で、117号以降とは各部に違いがあります。

 

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中徳富

奥に見える山の麓は砂川市~奈井江町です。赤い屋根の建物に被って、タラコ40の姿はちょっと分かりにくいです。そして山のずっと向こうには富良野市があります。

 

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不明

建物とキハ40との明暗差が酷くてレタッチしましたが、随分な手抜きになってしまいました。てへ。キハ40とキハ22が共存していた時代でしょうか。

この当時、浦臼新十津川間には1日5往復もの列車が運転されていました。

 

今年初めてのビデオ撮影をしてきました。家庭の事情により近場しか行けないので札沼線です。雪を覚悟していましたが、意外にも晴れ間が出迎えてくれました。

冬期間通行止めの踏切、2カ所にて。

f:id:railway-photo:20220123111749j:plain石狩太美あいの里公園

 

f:id:railway-photo:20220123111808j:plain石狩太美石狩当別

かつては冬場でも稼働していた田舎道の踏切ですが、今では冬期間休止となって通行不可となっています。道路の除雪は市町村が行いますが、踏切の除雪はJR北海道が行います。結局、もともと交通量が少ない道なので冬期間は通行止めにしちゃえということで両者が合意したのだと想像します。道路は除雪されていないので、ここまで来るのに雪を漕がねばなりません。上の画像で100mほど、下の画像で50mほど雪漕ぎしてるので汗をかいちゃいましたが、それはいいのです。短いし。問題は、警報器が鳴らないので列車の接近が分からないということです。この時は風のない穏やかな状況だったので、遠くの警報器音や列車の姿が確認できましたが、これが吹雪くとなると列車の接近がさっぱり分からなくなります。冬の撮影では天候次第では撤収も覚悟しなくてはいけませんね。

 

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この日がジッツオ三脚(中古品)のデビューでした。ヘッドは30年来使用のザハトラ。