ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

高架化工事を横目に

この時の行動はさっぱり記憶にありません。お昼に一体何をしていたんだか。

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12:19着 12:25発 釧路発、函館行き「おおぞら2号」

スカート下部の「折れ目」から、試作車であることが分かります。

それが↓この車両。

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試作車だけで終わってしまった非常用の開閉窓。781系電車でも試作車だけに設けられました。夏場の運行で、冷房装置が故障した際に、実際に使われたことがあります。暑さに我慢できずに他の車両に移動するか、そのままその車両に居続けるかは乗客の自由ですが、その車両の乗客は特急料金の払い戻しを受けることができました。2時間遅れの場合と同じで、特急列車としてのサービスを受けられなかったという理由になります。

 

上の画像の時とは別の日だったかもしれません。もしかすると室蘭本線の客車に乗りに行くため、早朝の列車で札幌を発ったような気がしなくもありません。

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石狩街道の陸橋の下をくぐります。

 

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学生時代、よくこの場所で撮影をしたものです。駅から近いし、低い柵が撮影にはとてもありがたかった。車の通行も少なかったし。この時はすでに高架化工事のために立入りができなくなっています。

 

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左の線路は苗穂機関区や苗穂駅とを結んでおり、回送列車や貨物列車の出入りに使われていました。本線は3本あって、これを使って函館本線千歳線の列車をさばいていました。他にもう1本、南側にも線路がありましたが、北ガス専用線とつながっていたのかどうか、調べたことがないので分かりません。まだ踏切警手の姿がありました。

 

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日ハムの屋内練習場のある辺りでしょうか。印象的な、まあるい屋根の建物がどこにあったんだったか。

残念ながらフィルムはここで終わり。このような高架化などによって沿線が大きく変わる時には、その時々で撮影しておくと、後に貴重な記録となりますが、この時にはそんな殊勝なことを考えることもなく、ただぼんやりと乗車していただけだったようです。

 

昭和57(1982)年8月16日、18日あたり