ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 144とC58 145

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年8月22日 厚狭機関区

車歴は↓こちら。

C58144 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

配属は宇部小野田線管理所宇部港中駐泊所。機関区でもない運転区でもない、何ともスッキリしない部署名ではありますが、もともとは厚狭機関区の分庫だった模様。この部署はその後も幾たびも組織変更されるに伴い名称を変え、現在は山口地域鉄道部になっているそうな。JR西日本って組織替え、多くない?

この当時、ここには5輌のC58が在籍し、宇部線の支線である2.2kmの貨物線(居能~宇部港間)の貨物運用ならびに入換に従事していたのではないでしょうか。この貨物支線は「日本鉄道旅行地図帳 中国四国編」を見ても、その変遷は複雑でなかなか理解できません。

煙室扉回りの向かって左側の手摺が、少し転んだ位置にあるのが珍しいでしょうか。

 

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昭和45(1970)年7月1日 小山機関区?

車歴は↓こちら。

C58145 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

小山機関区というとC50のイメージが勝手に強いのですが、昭和40年代初め頃にはC58がC50の倍以上もの輌数を占め、水戸線両毛線の運用にあたっていました。

昭和43(1968)年9月1日に両毛線が電化されたことで蒸機は激減し、数輌のC50が入換用に残るだけとなりましたが、その運用もこの画像が撮影された前日に終了しています。145号機はまさに両毛線電化に伴い余剰となって新小岩機関区へ異動しているので、この日に小山機関区に居るのは何とも不自然なのですが・・・。

珍しくエプロンがありません。

それにしても気になるのが、除煙板に付いている手摺です。外側と内側にそれぞれ付いていますが、除煙板をちょっと切り詰めて、手摺を前方に張り出すように1本だけ付ければ済むのではないかと思います。設計通りでも大した手間ではないのかもしれませんが、模型屋さんには手間のかかる部分でしょうね。