ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

記念すべきD51のトップナンバー。けれども悲しいかな、一番最初に落成したわけではありません。

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昭和47(1972)年8月27日 浜田機関区

 

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昭和47(1972)年8月27日 荒島駅

C57 101の記事で紹介した特別四重連の時になります。

C57 101 - ただいま鉄道写真スキャン中

車歴は↓こちら。

D511 機関車データベース (形式D51) - デゴイチよく走る!

昭和6(1931)年、不況により貨物輸送が低迷したことで増備が打ち切られたD50でしたが、その改良型であるD51が、経済が復興し貨物需要が増加した昭和11(1936)年に登場しました。主要寸法はD50を踏襲しながらも、その外観は近代化され洗練されたものになりました。

貨物機でありながら、当時の流線形ブームを反映したのでしょうか、煙突から蒸気ダメ、砂箱までもがカバーで一体化されたデザインとなり、ファンからは「なめくじ」の愛称を授与され、この業界で浸透します。煙室前端部の縁にアールを設けて丸味を持たせたのは画期的でした。更にD50とは対照的にキャブがこじんまりとした佇まいに。これは設計者の島秀雄氏の嗜好のようです。ただし、キャブ内の配管やメーター類は合理的に配置されて操作性が向上したと云われています。

動輪には初めてボックス輪心を採用。シルエットが大きく変わりました。

給水温め器はドームの中に納まっているので、D50のような前部の重厚さはなくなり、軽快感がそこはかとなく漂います。

使用蒸気圧はD50の13kg/cm2から14kg/cm2(後に15kg/cm2に昇圧)にアップする一方で、従来のリベット組みから溶接を多用し、機関車重量を軽量化し軸重も低減させたことで、入線区の拡大が図られました。

1115輌も製造され全国津々浦々でその活躍を目にすることとなり、その愛称である「デゴイチ」は蒸機の代名詞ともなりました。「デゴイチ」ではなく「デコイチ」が正しいなどと意味不明なケチをつけるファンも一部おりますが、ここでは「デゴイチ」を採用します。

輌数が多いので製造時期により形態も変化し、長年の運用では所属機関区独自の改装も施されるなど、その外観上のバライティーの豊かさは半端ありません。