ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 2

河村 義朗様と田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年1月19日 名古屋駅

 

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昭和43(1968)年6月10日 稲沢第一機関区

 

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昭和44(1969)年9月30日 不明

 

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昭和46(1971)年6月27日 稲沢第一機関区

車歴は↓こちら。

D512 機関車データベース (形式D51) - デゴイチよく走る!

ドームのナメクジ形状は、やはり味わい深いものがあります。本物のナメクジは苦手ですが、D51のナメクジはファンも多いでしょう。幸い北海道には何故かナメクジの配置が多く、個人的にも4、11、13、15、24、27、38、53、54、55、59、60、62、64、68、70,83、96と全95輌(うち2輌はスーパーナメクジ)中18輌も見ています。

煙室扉回りの手摺が特徴的な形状です。変形コの字です。

除煙板前端の手摺を外側・内側の2本構えにしたのは、昇降時とデッキ上で捕まる時とで使い分けるためでしょうか。フロントデッキは狭いため、手摺の設置はハナから想定しておらず、しかも昇降時に除煙板前端から手摺が前方に突出していると邪魔になるという配慮がもたらしたものとも云えるでしょう。設計者は使用側や検修側への配慮を十分に検討しなくてはいけませんが、その中には設計者の嗜好デザインが実はこっそり隠されているのかもしれません。それにしても、向かって右側の除煙板手摺部を、長方形状にくり貫いたのは何としたことでしょう。昭和43~44年の間にヤられました。

ここしばらくの間、D50のキャブを見てきた目には、D51のキャブは本当に小さく、狭苦しく見えます。「キャブは小さい方がカッコいい」というのが設計主任であった島秀雄氏の嗜好だったそうです。しかしナメクジを止めた標準型では、キャブは幾分拡大されましたが、同じ標準型でも86~90号機はナメクジと同じく小さいままだったそうです。

ナメクジの他の特徴としては、動力式逆転機を装備していたことです。機関士の運転労力の軽減を考慮しての措置だったと思いますが、手動式の方が操作しやすいということで、この2号機もそうですが手動式に交換されたものが少なくありません。

炭水車の台車には、同時期に製造されたC57と同様の鋳鋼製台枠を採用し、スマートな足回りです。ボックス輪心の動輪もまた、径こそ異なりますがC57と同様の採用です。

炭水車側面の縦三カ所の突起も特徴的でしょうか。

そうそう、先輪担いバネのカバー上に、何やら座布団のように載っているものがあります。コンクリート製の死荷重だそうです。これで軸重をアップしてナメクジの問題であった空転を防止したのでしょう。

現在、大坂の交通科学博物館から岡山県の津山まなびの鉄道館に引っ越して、美しい姿を後世に伝えています。