ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 37

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昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区

車歴は↓こちら。

C5737 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

煙室扉のハンドルが美しく磨かれています。九州の機関車はホント、美しいです。煤だらけでナンバーもロクに読めない北海道の機関車とはエライ違いです。九州の機関車がスーツ姿なら、北海道の機関車は汚れた作業着姿って感じでしょうか。まあ、泥まみれの姿は、それはそれで味があるのですが。

砂撒き管が1本追加されています。通常は第二動輪(主動輪)の前後だけに設置されおり、第一動輪の前にあるのが追加分。

キャブ側面の雨水管は手摺を兼ねたもので、C53以来のもの。(C50はC53の後に登場。)C58以降は密閉キャブになったために兼用手摺はなくなりました。

この当時、早岐機関区には13輌(9、37、100、111、112、116、124、153、154、155、158、174、175号機)のC57が在籍していましたが、そのうち通常の除煙板装備はわずか4輌(37、124、153、174号機)だけでした。門デフの普及ぶりが伺えます。