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昭和42(1967)年8月5日 小樽築港機関区
まだ除煙板の切り詰めは未施工です。
昭和50(1975)年7月13日 滝川機関区
機関区の外れで火を落としていました。廃車かなと思いましたが、第一種休車でした。
人からもらった期限切れのフジクロームで撮影。
フロント部の先輪ばね類の保護カバーですが(C62などでは給水温め器が収納してある箇所)前面の蓋には、縦開きのものと横開きのものとがあります。こちらは縦開き。縦開きが主流のようですが、下開き(こちらが圧倒的多数)と上開きがあったり、蝶番の数が2カ所だったり3カ所だったりと、統一はされていません。因みにその蓋を開けると軸箱用の油壺があるそうな。
昭和50(1975)年10月26日 滝川機関区
第一種休車から復活したものの、違法ストに絡む落書きで惨めなことに。「日共」の文字を消そうとしていますが、日本共産党のことでしょうか。それとも「日教組」を書き間違えた?まあどっちも似た者同士。自己否定のようなアジです。(笑)
キャブは密閉化されていませんが、手摺を兼ねた縦樋の何と屈曲していることよ。かえって乗降し辛いように見えます。
炭水車の前照灯が、背面ではなく炭庫の仕切り板に取り付けてあるのは雪対策であると物の本に書いてありましたが、イマイチ理解できずにいます。炭水車上に積もった雪で前照灯も一緒に埋もれてしまうのでは?・・・とはいえ、北海道ではバック運転はほとんどなかったと思うので、どちらでもいいのかもしれません。
昭和50(1975)年11月23日 砂川駅
この日は上砂川支線の運用に就いていました。防寒対策としてキャブ出入り台にはカーテンが引いてあります。実際、この日は雪が降りました。
ステップとの干渉を避けるためでしょうか、スノープラウの取り付け方が凝っています。実に取り付けにくそうです。でもDF200ではこんな感じでスカートの裏に支持金具を固定しています。北海道ではありませんが、機関車によってはステップを取り外すケースもあったようです。そのスノープラウはステップ付です。
昭和51(1976)年3月4日 小樽築港駅
大学受験を終えて、速攻で帰宅前に友人らと訪れた蒸機の墓場。受験会場にカメラを持ち込むなんて、少なくとも札幌市内では私ら3人だけではなかったでしょうか。ええ、そんな心がけでしたから、3人中ふたりは落ちました。私は多数派(笑)。
廃車体では前照灯の欠落が目立ちましたが、流用部品として外されたのでしょうかね。それならなぜシールドビームは残したまま?
昭和51(1976)年7月10日 苗穂工場
小樽築港の墓場からは多くの機関車が保存用に旅立ちましたが、38号機は苗穂工場でその人生に終止符を打たれました。先に炭水車がバラバラに解体されています。
左奥にはロータリー式雪掻き車であるキ620形式622号の姿があります。動力は蒸気なので、燃料となる石炭を積む炭水車が付いています。その炭水車には屋根があり、一瞬C55流線型か!と思わせますが、戦後型C58用の船底式と同形式のようです。キ622も解体待ちなのです。
車歴は↓こちら。