ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 129

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51129

画像はありませんが、128号機、130号機らとほぼ同時期に上諏訪区から直江津区へ異動しています。

松本機関区時代に装着していた集煙装置は、直江津区へ異動した際に取り外したようです。その時の名残として煙突は短いままです。

重油タンクは鎮座したままです。

ボイラーとランボー接触面には珍しくカバーが取り付けられたままです。

何か表情が違うな~?と思ってよくよく見ると、煙室扉回りの手摺がちっちぇえ~。エプロンもちっちゃくて、もはやエプロンではありませんね。

前端梁には左右に白い菱形が描かれています。何のマークでしょう。

ドーム前の大きめの手摺が松本区所属機の特徴でしょうか。

キャブ屋根が延長されており、雨樋には段差ができています。

砂撒き管は第二動輪から第四動輪まで各1箇所ずつ配置されています。第四動輪にはなく、第三動輪の前後に設置しているケースが多いようですが、その使い分けとなる基準な何なのでしょう。

この画像では分かりませんが、公式側のキャブ前方には、トンネル内での換気のため、冷気取り込み装置が据え付けられています。中央線・篠ノ井線のトンネル内対策です。

128~130号機は信越線の電化に伴い余剰となり、排雪用として青森区へ異動することになります。