ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 192

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和48(1973)年4月12日 中津川機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51192

廃車から半月後の姿になります。もっとも、それまでは休車でしたので、火を落としてからは2か月ほど経過していたのかもしれません。

ナンバープレートこそ剥がされていますが、まだ錆が浮くとかそこまで傷んではいなさそうです。

この機関車の現役時代の写真は、ネットにそこそこ上がっています。

排障器に機番が書かれているのは珍しいかもしれません。通常だとその排障器の後ろにも、ハエタタキ状の排障器がある筈なのですが、それがありません。機関車によっては2本構えにしているものがあれば、棒状排障器にハエタタキ部分を取り付けた1本ものもあるようです。

除煙板にはフック孔が2カ所あるにもかかわらず、吊環まで用意されています。サービス満点ですね。

集煙装置は長工式ですが、今庄区、敦賀第一区時代には敦賀式を装備していた模様。整備や使い勝手の関係で、使用区によりタイプは決まっていたようです。また、集煙装置は熱や煙に晒され傷みやすい装置らしく、寿命はそう長くはないそうです。そのうち、鋼板に穴の開いた集煙装置をご紹介します。

キャブの出入り台に針金を張って入れないようにしているのは、部外者対応なのか、それとも内部的なものも含めてなのか。この当時はSLブームが既に到来し、部品の盗難事件が絶えない頃でした。そのため、撮影許可が簡単に下りた苗穂機関区ですら、この頃は許可が下りなくなっていました。表向きは「安全のため」だと言われましたが。小樽築港区が盗難被害が酷かったようです。

一旦は民間により保存されたようですが、そのうち手が回らなくなり行政も放置し、あげく解体となってしまった、哀れな1輌ではありました。