ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 201

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年10月22日 高山機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51201

前回の200号機とともに国鉄浜松工場製です。

高山線の主力機関車は貨物は9600形式、旅客はC58形式でしたが、貨物輸送力増強のため、戦後はD51形式も入線していました。山岳路線であるにもかかわらず、集煙装置も重油併燃装置も装備していません。しかしながら、トンネル内で煤煙による一酸化中毒を防止するため、防毒マスクの着用を義務化されたことがあるそうです。

独特な形状のタブレットキャッチャー。うっかり何かに突き刺さらない様に、先端は球状に加工されています。

真横からの角度でないと確認できませんが、ネジ式逆転機の先端部の屈曲がなかなかキツく見えます。

二段構えの排障器は、両者ともに「はえたたき」が備わります。

画像では分かり辛いのですが、炭水車の台車が鋳鋼製であることから、ナメクジとペアだった8-20形式に差し替えているようです。その経緯は不明。

※この炭水車は8-20A形式で、落成時から201号機が引いていたもの。210号機の記事を書いている時に判明しました。詳しい人なら常識だったのでしょうけどね。

 

現在は蒲郡市に非常に良好な状態で保存されており、最終配置区は中津川区だったこともあって、長工式集煙装置装備の姿だそうです。

 

昭和41(1966)年2月1日 高山機関区

真横の貴重な写真がありました。江別の鐵様、お手数をお掛けしました。