ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 200

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年9月30日 中津川駅

 

昭和46(1971)年4月25日 上松駅

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/?m=&s=&l=&j=&w=&n0=D51&n1=D51200

200号機です。当時現役機の中で一番若いキリ番という理由だけで梅小路に保存されることになったと云われている機関車です。まあ、100号機は、同じナメクジの1号機が保存されることになっていたので最初から選外でしたから、もともとキリ番の中では一番の若番だったわけで。(実は状態も良好だったらしいですが。)

で、現役の頃はご覧の通り、長工式集煙装置を載せた勇ましい姿だったわけですが、山口線に復活した姿にはなぜか集煙装置は無し。あれだけ批判を浴びたC57 1には載せて、D51 200に載せなかったという理由は何なのでしょう。しかもC57 1では重油併燃装置を搭載した上でのことだったのに、D51 200に重油併燃装置はなしとのこと。5年前の平成29(2017)年に復活したオリジナルに近い姿のD51 200は、それはそれで意義あることだと思うのですが、乗務員の作業環境は大丈夫なの?と単純に疑問を覚えます。

復活後の顔は、煙室扉のハンドルが十字タイプに変更されたくらいの違いしか見当たりませんが、実際には多くの部品が新品に交換されたようです。