ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 328

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月5日 岩見沢機関区

 

昭和42(1967)年8月17日 追分機関区

 

昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区

 

昭和49(1974)年3月17日 岩見沢

 

昭和49(1974)年9月8日 岩見沢第一機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51328

ギースル機です。しかしこの機関車にはもうひとつ大きな特徴があって、それは炭水車。戦時型の舟底形である10-20形式を従えています。と云っても、この炭水車、もともとは1068号機のもので、常磐線で活躍するこの機関車にストーカーを搭載するにあたり、舟底形では構造上、無理があるということで、328号機のものと「ばくりっこ」(テンダ振替とも云う)をした次第。なら、機関車を配置換えして328号機にストーカーを付ければいいじゃん、とも思うのですが、そうはいかない何か事情があったのでしょう。

因みに、どうして常磐線D51にストーカーを?別に険しい峠があるわけでもなしという疑問が出てきますが、それは使用した石炭に問題がありました。常磐線の急行貨物を担当していた水戸機関区のD51常磐炭を使用していたのですが、これが低品質で低カロリー。重量ある貨物列車を牽引するには連続投炭を強いられるわけで、それが機関助士にとっては過酷なものでした。時には機関助士を二人乗務させ、投炭作業を途絶えない様に対処したとか。ストーカーはそれを解消するための救世主だったわけです。なお、ストーカーを搭載した炭水車は8-20B形式から7-18S形式へ変更されています。

ただ、そうなると更に疑問が。どうして重油併燃装置を取り付けて重油タンクを載せなかったのでしょう。おそらく、無煙化までの一時凌ぎと捉え、機関区に重油の給油設備を設置するお金を掛けたくはなかったのではないかと。また乗務員にしても、重油併燃の慣れない操作を嫌っていたのではないかと。あくまで想像ですけど。

ところで、下から2枚目の画像。煙突から煙が2条立ち上がっているのが、ギースルの特徴でもあります。