ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C50 125

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和43(1968)年1月14日 小山機関区

 

昭和43(1968)年3月25日 小山機関区

前回の記事のインクが乾かぬうちに気恥ずかしい限りですが、先輪がボックスタイプに交換されています。あったんですね、C50にも。ってことは他にも車輪をボックスタイプに交換したものがあるかもしれません。最晩年には柳井機関区へ移り、そこでC50の三重連によるSLさよなら列車を牽引しています。C50の三重連なんてのも初めて知ったかも。C50に限った話ではありませんが、まだまだ知らないことだらけです。本機は柳井市で保存されていますが、整備が行き届いていないようで、かなりヤられている状態のようです。それでも除煙板なし、給水ポンプ付きといった原型の姿は確認できます。柳井区へ行ってからの改造なのでしょうね、入換専用機らしく炭水車背面の左側ステップは手摺付きになっています。ご多分に漏れず、番号板はレプリカのようです。

車歴は↓こちら。

C50125 機関車データベース (形式C50) - デゴイチよく走る!

 

若い世代の方々にはピンとこないでしょうが、かつてTV番組を録画したりビデオ撮影する際にはビデオカセットテープに記録しておりました。しかしその方式は統一されておらず、民生用ではベータマックス(とその上位規格のEDベータ)、VHS(とその上位規格のS-VHS・D-VHS・W-VHS)、8ミリビデオ(とその上位規格のHi8・デジタル8)、DV(とそのハイビジョン規格のHDV)なんて規格が混在しており、しかしそれらはカセットの大きさも記録方式もてんでバラバラで、互換性はゼロでした。ただしデッキ間をケーブルをつなげば相互にコピー(よくダビングなんて言い方をしていました)はできました。今やテープ記録はすっかり廃れ、HDDやメモリーカードに記録するのが当たり前になっています。けれども世の中には記録済のビデオテープが大量に眠っているのにもかかわらず、それを再生するデッキはもう生産されていないので、中古のビデオデッキを入手するか、あるいは業者に依頼してDVD化してもらいDVDプレーヤで鑑賞するしかありません。もっとも、今やDVDやBDですらちょっと古めの記録メディアになっていますから、DVDを再生する機材そのものがなかったり、黄・赤・白のRCA端子のないテレビだとデッキにつなぐことすら叶いません。幸い、ウチではベータマックス以外ならば再生する機材を温存しており、その映像をPCに取り込める古めのソフトも残しているので、いつでもファイル化が可能になっています。しかしテープメディアは劣化したり最悪の場合にはカビが繁殖するケースもあるので、過度な期待は禁物です。特にカビの生えたテープを再生しようものなら、ヘッドがカビまみれとなりデッキそのものがアボーンされることになり、8ミリフィルムよりもタチが悪いです。