matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和41(1966)年7月20日 柳井機関区
入換専用機ながら、125号機らとともに三重連を組み、山陽本線の徳山~柳井間でSLさよなら列車を牽引という晴れ舞台を踏んでいます。他に適当な機関車がいなかったからと云えば身も蓋もありませんが、C50にとっては有終の美を飾るに相応しい運用だったことでしょう。元空気溜めのカバーが目立ちますが、やはり何のために設置されたのかが気になります。同僚の121号機などとは異なり、化粧煙突を維持していますし繰り出し管の後退化改造も実施されていません。その理由は分からないにしても、個々の機関車ごとにディテールが異なるのはファンとして惹かれるポイントですね。
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