ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

出張帰りの品川駅にて

少々食傷気味になってきたので、時代を若干飛び越えてJRになってからの写真を今日はアップします。
横浜から東京へちょくちょく出張していた頃、カバンの中にはいつもコンパクトカメラを忍ばせておりました。いつでも不測の事態を記録しようという思いからのことですが、当時は某TV局の記念イベントでヨーロッパからはるばる「オリエント急行」が来日しており、出張の際には何度か品川駅に停車しているところを目撃しました。

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食堂車ですが、JR北海道仕様「北斗星」の食堂車のランプシェードはこれを真似た?

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JR東日本の改造車である控え車のオニ23 1。元、ナハネフ23。
オリエント急行」と機関車との仲を、この車両を介して取り持ちます。

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ホームは高いけれど、ヨーロッパのどこかの駅かと錯覚しそうです。
台車は来日してから履き替えたTR47。ぶれてぼけて、「オリエント急行」の車両をまともに写せたものは1枚もありません。とほほです。ので、雰囲気だけでも。

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荷物車マニ50 2236。「オリエント急行」は、国鉄では大正時代に消えたバッファー付きのねじ式連結器を使用。幌も専用のもの。マニ50もオニ23同様、機関車と「オリエント急行」との仲を取り持ちます。

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機関車がやってきました。ピッカピカのEF65 1109です。

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連結後、列車はどこかに行ってしまいましたが、日付から考えて、どうやら返却のために回送されたようです。

規格の異なる外国の車両を日本国内で走らすというのは、想像以上に苦労が多いことだったと思います。ろくに図面が揃っていない状態で車両をいじったり、建築限界に接触する箇所が何百か所もあるため線路を移設するなど、運転に際しては相当に大掛かりな準備が必要だったそうです。

こうして前代未聞の「オリエント急行」の国内運転は2か月間にもおよび、その締めくくりの日本一周ツアーではD51に牽引されて上野駅を出発し青函トンネルを抜けて北海道へ、また瀬戸大橋を渡り四国へ、更には関門トンネルをくぐり九州と、ななつ星どころか、ななひゃくななじゅうななつ星ともいえる贅沢な鉄道の旅を提供したのでありました。
でも正直なところ、当時はイベント列車全体に興味がなかったため「オリエント急行」にも食指は動かず、勿論TVで放送されたということすら知らずに、後で雑誌を読んでD51やEF58が牽引したと知った次第。

木造を多用した車両や、石炭を使った食堂車が営業運転で青函トンネルを抜けたのは後にも先にもこの列車だけで、もう二度とこんな列車が津軽海峡を潜り抜けることはないでしょう。

国鉄が分割民営化され、青函トンネルと瀬戸大橋が開業し、すべてがイケイケムードに満ち溢れていた時期だからこそできた大事業だったように思います。

※「オリエント急行」によるツアー列車の名前は「オリエント・エクスプレス ’88」でした。

昭和63(1988)年12月26日 品川駅