ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

重い心で遠浅、追分

いよいよ秋も深まり、蒸機の命運もまもなく尽きようとしておりました。
のどかな小春日和の下、栗沢駅の近くで撮影した後は遠浅に移動しましたが、太陽はすっかり雲の中に隠れてしまいました。せっかくカラーネガに入れ替えたのに何たる仕打ちぞ。気持ちまで肌寒くなってきました。

イメージ 1
沼ノ端→遠浅
せっかくのD51重連貨物も、場所の選定がイマイチで何とも・・・。

イメージ 2
遠浅駅
何かもう、やる気のなさが漂っています。この当時は本気で心配していたのですが、蒸機が石油タンク車を引くって相当危ないじゃんかって。山林なんかで、蒸機の出す火の粉で山火事になったって話も聞いてましたしね。

イメージ 3
追分駅
追分に移動しました。やる気のなさは半端ないです。構内の通路には、生録に精出すファンがじっと立ち尽くしておりました。日中は人の行き来があるので、生録には厳しいと思うのだけれども、その姿を見ているうちと、自分ももう一度くらいは深夜の追分駅で生録をしてみたいと思うのでした。

イメージ 4
追分駅のマスコット?
腹這いになって撮影しましたが、あっち向いてるしピントきてないし。
数年後、道内では有名なM教授の写真を見ると、この猫が写っておりました。さすがに上手いなあと、ため息をつくばかりでした。
この日のカラー撮影は天気も心意気もセンスもダメダメダメのダメ尽くしで終わりました。もうあと2か月を切ったというのに、何やってんでしょ、自分。受験勉強もさっぱり。そう、私は受験生、高校三年生なのでした。

昭和50(1975)年11月2日