7月の滝川、8月の追分、そして9月も追分と、3度目の徹夜鉄を決行です。
8月に引き続き生録も目的ですが、今回は級友からデンスケを借りてきました。前回は兄のラジカセと貧弱なモノラルマイクでの録音でしたが、今回はちゃんとした音楽用のステレオマイクを使います。
岩見沢から追分まで乗車した232列車はC57 135が牽引するので、早速に添乗録音と決め込み、最前部のデッキでデンスケを回します。しかし、途中で同行のY君が「リミッターかけてるの?」と聞いてきました。「へ?何のこと?」
リミッターをかけると音の歪は避けられますが、音量がシーソーのように変化してしまい何とも不愉快な気持ちになります。結局、最初の部分はダメダメでした。
追分に到着すると、Y君が「オレにも録音させてくれ」と言ってきました。ちゃんとカセットテープを用意してたんですね。夜も更けたとはいえ1時間に数本は蒸機列車が走ります。線路沿いの職員通路で二人で佇みつつ、Y君は録音を、私はその様子を見学です。でも、ただ黙って見ているのも退屈なので、撮影を試みます。
6174列車 D51
4分の1秒で流し撮り。なかなか無理があります。
Y君は録音に飽きてきたようなので交代です。
ただ、うっかりしていました。電池の消耗が予想以上でした。マンガン電池なのでモチはあまりよくなかったのでしょう。添乗録音もしちゃったし。金欠なので電池の替えは用意していません。何本か録音したところで再生してみたところ、もはや蒸機の音ではありません。汽笛がホイッスルになっています。ダメだこりゃ。
9600が威勢よく入換を始めたので入換の撮影に切り替えます。本当は入換こそ録音をしたかったのに。
三脚を持ってきていないので、ぶれないように慎重にシャッターを切ります。とはいえ、正直、半分ヤケ気味ですけど。
この後も撮影だけ続けますが、そのうち意識が朦朧としてきますので、記憶は吹っ飛んでおります。
三脚があればちゃんと撮れたんですけどね。
5496列車 D51
遠くに見える人影がY君です。ちゃんと意識はあるのでしょうか。
7465列車 D51 855
D51 484が1791列車を牽引するために出区します。
この後、Y君と共に意識白濁状態で三川、古山、沼ノ端と移動して撮影を続けるのですが、今となっては記憶の片鱗すら残っておりません。
帰宅してからテープを再生してみますが、後悔のため息をつくばかりでありました。
もう一回行かなくちゃね。
昭和50(1975)年9月23~24日