ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂へ

一足先に現役合格したY君と、久々に一緒に撮影に出かけました。Y君は「苗穂に置いてあるキハ09が見たい」というので、まずはそれを見に行くことにします。その途中、工場では入換をやっていたので、しばし足を止めてカメラを向けます。

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構内では貨車の解体作業中。

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DD11が外に出てきました。80~250mmのズームを付けっぱなしなので、近い絵は撮れません。なので、特徴ある足回りは撮影できませんでした。

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あちこち塗装が剥がれており、その年季ぶりを感じます。

どこをどう歩いたのか、キハ09めっけ!・・・と思ったらキハ08でした。
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元祖PDC、客車改造の気動車です。キハ08 1はオハ62 2を改造した車両で、当初の形式はキハ40 1。両運転台の元祖キハ40でした。一方、キハ09はオハフ62を改造した形式で、改造当初はキハ45、片運転台の車両でした。
気動車不足を補う目的で不要になった客車を改造しましたが、非力なエンジンに重い車体ということで運用は平坦路線に限定され、あまり活躍できずに短命に終わったようです。この車両は鉄道学園の教材として保存されていたそうです。

工場構内には廃車になった蒸機が雪をかぶったまま留置されています。
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D51 855

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D51 165

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39679

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DE10、DD51、DD13、DD11

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39679、D51 165、D51 855

付近をうろついていたら、C12とC55を見つけました。
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イメージ 17C12 6

C55は柵の向こう側にありましたが、ちょうどそこに職員の方が通りかかったので、ちょっとだけ中に入って撮らせていただきました。
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C55 50

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キャブ横には「C55 30」とチョークで書かれています。この時、すでに30号機は解体されており、その替え玉としてこの50号機が30号機に仕立てられようとしていた時期だったようです。ナンバープレートを取り付け、その姿が公開された時にウソがばれて、本来の50号機として保存される運びとなった次第ですが、もしも30号機が解体されなければ、流線形に戻した上での保存も検討されていたそうです。見たかったなあ、流線形のC55。

この時、Y君とは「何で30号機でもないのに30号機になってんだ?」という疑問から、それを確認するために数日後、30号機が保存されていると思われる手宮へ同行したのでした。

昭和52(1977)年3月7日 苗穂工場