ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂工場構内を徘徊

苗穂工場一般公開では、建屋内での作業風景や修繕途上の車両を見るのがかなり楽しいのですが、屋外に留置されている車両も少なからずあって、なかなか興味深いものがあります。

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稼働する姿はなかなか見られないDE15。これは1521号機、複線用前頭車を装備しています。雪国の鉄道にはなくてはならない車両です。

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DD51 1148に群がるガキんちょ。親の姿が見えません。この奔放さが昭和という時代でしょうか。こどもが怪我をしても国鉄に文句を言う親などおりません。

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若番、DE10 3。五稜郭機関区の所属でしたか。ナンバープレートはちゃんと中央に付いています。31号機と同様に水平ステーが付いていますが、こちらは1本だけ。因みに31号機もDD51形式658号機も五稜郭機関区の所属だったようです。

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ロープは張られているものの、立入禁止の表示がないので、親の監視の下、やっぱりガキんちょは機関車に群がります。歩み板上のこどもは、見ていてちょっとハラハラします。

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復元されたばかりのキハニ5005。ついこの間まで物置だったのが嘘のようです。

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DD51 1149。出場間近なのか、ピッカピカです。

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DD13 50。もしかすると41号機と同じく緑色だったかもしれません。

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緑色の入換機、DD13 41。こちら側にも日章旗を掲げて欲しかった。

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ヤ81形式のヤ81号。1形式1両の走行特性試験車というものだそうで、狩勝の脱線実験に使われたようです。
手前のコキ50000に邪魔されて足回りは見えませんが、3軸のワサ1形式を改造した車両だそうな。

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検重車のケ10形式ケ10号。ここでもコキ50000に阻まれてしまい足回りが見えません。ガキんちょのようにコキの上に上がって写真を撮る勇気はありません。

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解体場ではキハ21 3が無残な姿を晒していました。客室内には作業員の姿が見えます。アスベスト云々が社会問題化するずっと以前の頃です。

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一見のどかに見えますが、キハ21 40は解体の順番待ちです。

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DD51 1048は、工場から貨車を引き出すところでしょうか。

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建屋の方に戻ります。
今の資料館のあるホームには、ワムが何両も停まっていました。中には様々な部品が見えます。

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ホームの反対側では、クレーンで何やら積み下ろし作業中です。

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レンガ造りの建物は、今は技術資料館になっていますが、この頃は何に使われていたのでしょう。ここにも貨車が停まっていました。

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公開時間の終了が迫り、展示されていたDD51 1148とDE15 1521をDD13 41が引き上げてゆきました。

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クモハ781の方は、DD13 50が引き上げます。(後ろにはキハ40の姿も)
時間なので、こちらも工場を引き上げます。

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後ろ髪ひかれる気持ちで跨線橋へ行ってみると、お、S-901が。慌てていたので露出不足。と、言い訳。

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眼下にはキロ29形式の2号と3号が停まっておりました。

来年以降は社会人になっているハズなので、これが苗穂工場の見納めになるかもしれないと思うと、本当に名残惜しいです。

昭和55(1980)年10月4日 苗穂工場