ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

三階建列車

国鉄時代には、多層建列車というものが全国各地で走っておりました。1本の列車が途中駅で分割し、それぞれ別の終点へ向かう、あるいはその逆を辿る列車で、複数の列車を1本化した場合、編成が長~くなって、ファン的にはとて~も見ごたえのある列車といえましょう。ただ、基本的には急行列車であり、北海道ではほとんどがキハ56系運用のため、当時の感覚で言えば「またかよ」的な気分で、特段嬉しいほどの存在でもなかったような気がします。

で、三階建列車のひとつであった「紋別」「はぼろ」「大雪7号」

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4605D 急行「紋別」 キハ56 201
札幌→旭川→名寄→興部→遠軽と走ります。石北本線が全通する前は、こういう経路で網走方面と結んでいました。所定3両で、うち指定席車は1両です。

この後ろに網走行き 505D 急行「大雪7号」の編成が続くのですが、撮影しておりません。いきなりの腰砕け記事、大変に不甲斐なく申し訳ありません。「大雪7号」は所定4両で、うち指定席普通車が1両、指定席グリーン車が1両です。

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4805D 急行「はぼろ」 キハ27 37
編成のしんがりを務めるのは急行「はぼろ」です。深川から留萌本線~羽幌線を辿り終点の幌延まで運転されます。所定3両で、うち1両は留萌止まり、1両は指定席普通車。

以上、堂々の10両編成となって急行「紋別・大雪7号・はぼろ」は札幌駅を出発したのでありました。

この頃は他に「かむい・るもい・ましけ」、「すずらん・せたな・ちとせ」といった三階建列車もありました。

また、50系51形客車の登場で、いよいよ旧客引退が現実のものとして感じられるようになっていました。

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5号車 スハフ32 399
なんで号車札がささったままなのでしょう。

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4号車 スハ42 505
北海道仕様なので500番代。二重窓になっています。オハ35の増備車で、台車をいいものに換えたら自重が重くなって形式が変わりました。

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3号車 オハ35 1307
雨樋がぶっとい。オハ35は大量に製造された分、色々な変形車があります。

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1号車 スハフ32 374
スハ32系列は、旧称号から現称号にかけての変遷や改造車など複雑怪奇で、私には到底手に負えません。

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スハフ32 393

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スハ43 711
スハ43の北海道仕様車は500番代ではなく700番代です。すでにオリジナル車が698番まで埋まっていたからです。

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スハフ32 397

古くて汚くて性能が悪くてガタがきてるんじゃあるめえか、なんて悪態をつきつつも、妙に親しみを覚えてしまうのは、一体なぜなんでしょうね。旧客には年輪を積み重ねた不思議な魅力に包まれています。

昭和55(1980)年6月27日 札幌駅