七夕に出会った義経號としづか號は、いよいよ別れの時を迎えました。
小樽駅前の大きな広告塔。「北海道鉄道百年」は、北海道開拓の歴史でもあります。その中には先住アイヌ民族への圧政、中国人・朝鮮人への強制労働、囚人への過酷な労働といった、非人道的な黒歴史も内包しています。しかしこれは、国土を拡大しようと野望を抱いた国家なら、程度の差こそあれどこの国でもやってきたことであって(中国は絶惨進行中)、日本だけが特別に残虐無慈悲な民族だったわけではありません。決して忘れてはならない歴史ですが、それを現在の道徳観や倫理観に当てはめて語ることは全くナンセンスです。
当時の様子は、フィクションではあるけれど、手塚治虫氏の「シュマリ」に描かれています。
バス賃込みの記念乗車券を手元に残すため、手宮まで徒歩で向かいました。
車庫の前では、大勢の人からカメラを向けられ、二人揃っての撮影会といった雰囲気です。
その後、義経號は走りを披露します。汽笛と鐘を鳴らして、手宮駅構内を何度も往復しました。
一旦転車台で向きを変えて、再び走行します。
再度向きを変えた後、しづか號の前に連結されて「静止重連」の披露です。
近代車両にはない武骨さは、アメリカ機関車ならではのフォルムでしょう。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー 3」を見ると、つい義経號、しづか號、弁慶號を思い浮かべてしまいます。
アントに押されてしづか號も走ります。
構内には無蓋車が2両待機していました。義経號を輸送する貨車でしょうか。
2か月間に及ぶ、義経號としづか號のランデブーはこれにて終幕ですが、この2か月後には更にビッグなイベントが待ち受けているのでありました。
昭和55(1980)年9月7日 手宮駅