ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂工場まつり2007年

この年は781系が引退し、789系1000番代が「スーパーカムイ」でデビューした時でありました。工場構内には廃車となった781系が何編成も留置されており、まつり会場にも休憩車として1編成4両がまるまる留置されていました。おまけにC62 3の牽引走行では、前年のキハ480-304に代わり、クハ780-4が客車代用となっておりました。ある意味、781系まつりと言えなくもなかったりして。

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休憩車となったL-1編成と、C62 3牽引走行の客車代用となったクハ780-4。

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C62 3+クハ780-4+DE15 2516
何とも奇妙な編成と言うか、工場内ならではの編成と言いますか。

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車籍を持たない工場の入換用機関車なので、本線走行はできません。

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キハ480に乗車するよりもお得感はあるかも。

トレイン・オン・トレインの実物大模型がありました。
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2017年現在のものとは全てが違うようです。

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中のコキ35040そのものに反応する人がいるかも。

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入換機関車ですが今は流線形になっていますね。

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レンガ造りの機関車検修庫の前にはDD51 1155が展示されており、キャブの中に入ることができました。
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走らないとは言え、ここまで接近して足回りを見る機会はそうそうありません。
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「鷲」の区名札が泣かせます。

検修庫の中に入ると、札タの入換用機関車が全検中でした。
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これだけではカバーが足りませんね。
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心臓部である機関は取り外されていました。

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キャブの中もだいぶスカスカ。

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もう使うことのない蒸気発生装置は死重として残しているのでしょうか。

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DE10 1718と読めます。

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でもすぐそばにはDE10 1719と書かれたプレートが。

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DE10-1718と書かれたスノープラウが。君は何者?

ED79 57も全検で入場していました。
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取り外されたエアフィルターは赤いです。もしかしてED79 15のだったりして。

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0番代と50番代の屋根上機器のカバー。その機器が何であるのかは存じません。

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屋根の肩の所に載っている塊は何なのでしょう?って、よ~く考えて、あ、吊りワイヤが当たる箇所なので、これで車体を防護するのですね。

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JR貨物製とはいえ、面構えはしっかり国鉄形でいい顔してます。改造車である0番代、100番代のエッチング板と違って、切り文字というのが泣かせます。
中の機器や台車などは確認しませんでした。

奇しくも、前年のまつりでも入場していたDF200-7が、この年は全検入場していました。考えてみればDF200も電気機関車の親戚になりますね。
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連結器の前のおこちゃまも、今はもう中学生か高校生でしょうか。鉄ちゃんになっているかな。これ見たらコメントお願いしますよ。

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頭が扁平に見えるのは、FRP製の屋根を外しているからです。

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ラジエターすなわち放熱器。この直上に巨大冷却ファンが取り付けられます。

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屋根にくっついている巨大冷却ファン。ラジエターに蓄えた熱を外部へ放出します。

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フィルターだったかと。銀色の筒状の中にチリやゴミが溜まります。

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屋根とそれに取り付く何かの機器。
その手前の〇模様がいっぱいある箱はマフラーです。消音器ですね。その横にある黒っぽいのが、運転室上のFRP製屋根で、ひっくり返して置いてあります。

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0番代ならではのドイツ製機関と主発電機。コマツ製機関とは形状が異なります。キハ58系のように、単純にコマツ製に換装するというわけにはいかないそうです。パワーはコマツ製機関の勝ち。この機関はドイツへは輸送されず、三菱自工に送られて整備されます、と三菱ふそうで働いていた知人が話していました。主発電機は東芝送りか?

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主電動機で、薄汚れているので7号機から外したものでしょう。1両に6基あってメーカー(東芝)に送られて整備されます。これがそのまま送り返されて7号機に取り付けられるのかどうかは分かりません。輪軸廻りは回転部が多いだけにグリースやら潤滑油やらで結構ギトギトしていますが、ケーシングされており滅多なことで漏れることはありません。

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こちらはDF200の台車。車輪や主電動機、ブレーキなどは外されています。これも7号機のものかと。中央部の下にぶらんぶらんしているように見えるのが、北入江信号場の脱線事故を誘発したZ形牽引リンクです。リンクの固定ボルトが抜け落ちたことが原因と思われますが、その理由は分かったのでしょうか。ボルトはトルクレンチで締めているので、そう簡単には緩まないはずなのですが。それとも疲労破壊だったのか。因みに事故車は弟分の8号機でした。

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DD51が仮台車として履いているのを見かけたことがあります。

時節柄、冬の準備としてDE15の前頭車の整備も行われていたようです。
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連結器は、昔のジャバラ式写真機のレンズのように、倒して引き出されます。工場内での移動以外では滅多に使用することはないでしょう。

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シャッター壁ギリギリなので、後ろ側は撮影できませんでした。

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恒例のミニSLが運転されていました。いっちょ前に、「ニセコ」のヘッドマークを装着しています。急行ニセコは所定C62重連でしたが、たまに機関車のやりくりが付かずにD51が前補機となることがあり、その時には沿線のファンをガッカリさせていました。でも、本務機の乗務員には好評だったとか。D51は遅いけれども粘りがあるので空転無用とばかりに安心して任せられたようです。
因みに本物のD51 239は苗穂工場製蒸機の第3号機でした。

平成19(2007)年10月13日