ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

石北本線のバラスト散布

10年前に撮影したホキ工臨バラスト散布の模様です。それまで何度かバラスト散布をビデオに収めたことはありますが、この時は石北本線をDE15が重連で牽引するということで、何としても行かなくちゃという使命感に燃えて撮影に臨みました。幸い、石北本線は友人に連れられて何度かDD51貨物列車を撮影しに来ていたので、そこそこ場所は知っておりました。

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下白滝←丸瀬布 工9484列車 DE15 1545+DE15 1543
バラストを散布する場所はあらかじめ分かっていたので、事前にその場所で撮影できるかどうかを確認してから撮影開始です。重連のマヤ検は見たことはありますがホキ工臨では初めてです。

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下白滝→旧白滝 白滝発祥の地
柵からは出ていません。昔は出たこともありましたが、出なくても十分絵になるので危険な要素はできるだけ排除します。バラスト満載です。これから散布場所へ向かいます。

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下白滝→旧白滝
列車の運転速度は遅いので、あっという間に追いついてしまいました。決して無茶なスピードで走ってはいません。こんなこともあろうかと、ダッシュボードの上にカメラを載せて回しています。

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白滝←旧白滝
散布場所の予想は当たり、散布するシーンを記録することができました。ちょうど線路に沿って農道があったのでラッキーでした。車はファインダーに入らない場所に止めました。

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旧白滝→白滝
比較的長い区間で散布していたので、またまたあっという間に追い越してしまいます。画面右端の白い車も追っかけ鉄ですが、見たのはこの時だけ。この後は追っかけしなかったのでしょうか。

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上白滝→奥白滝(信)
これ以上、散布するシーンを撮影するのは無理と判断し、普通に走行シーンの撮影に甘んじます。静止画にしてみると、あまり面白くありませんね。

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奥白滝(信)←上白滝
信号場手前の踏切です。上越側の踏切で撮影する人は多いのですが、ここで撮影する人はあまり見たことがありません。

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奥白滝(信)→上越(信)
特徴的な風景の中で。峠越えが始まっています。蒸機なら、煙を高く吹き上げるシーンになったでしょう。
旭川紋別自動車道が開通してから、この国道333号線の交通量は激減しました。そりゃあ、高速道路の方が速いし楽だし安全だし、そして何より無料だし。特に冬期間の運転ではその差は歴然です。

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上越(信)→中越(信)
久々に333号線を走って上越に抜けました。何台か対向車とすれ違いちょっとビックリ。途中には人家など何もないけれども(昔はドライブインがあった)、今でもそれなりに利用されているのですね。333号線を走ったのは懐かしいからではなく、途中で「オホーツク」を撮影しようと思ったからです。横狙いで俯瞰撮影できる場所があるのです。今回の記事には関係ないので、その画像は割愛します。

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上越(信)→奥白滝(信) 工9485列車
返しの列車です。奥白滝へ戻ってきました。もう散布はありません。バラスト散布列車の始発がどこだったのかもう覚えていませんが、もし北見だったら常紋での撮影もアリだったでしょう。でも、どうしても気になっていた場所があったので、そちらを選びました。

その気になった場所は、だいぶ前に友人が、DD51重連貨物の大俯瞰写真で見せびらかしてくれた所なのですが、過去に、国道からその場所は大体見当を付けておりました。鉄塔が目印です。初めての場所とはいえ入り口も分かっていたので、行ってみることにしました。
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上白滝→白滝
案外迷わずに車で上がることができました。最望遠で撮影していますが、かなり遠くまで見通すことができます。上白滝駅が木々の中にうずもれながらもかすかに写ってはいます。農場の倉庫が見える辺りです。国道が右カーブし、線路が左カーブする交差部は、樹木の陰になっています。

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もうホキ工臨も何もありません。俯瞰で列車を写したい。それだけです。

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結構な長回しです。この機材では思い通りのカメラワークは無理なので、フィックス撮影でカット割りします。

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ホキ工臨そのものは十分に撮影し満足していたので、こういう大俯瞰も撮影できました。1度しか撮影のチャンスがないという状況下では、流石に俯瞰は選びません。

この時はまだ周辺は結構開けていて、ヒグマが現れる気配は微塵もありませんでしたが、写真を撮る人はカーステレオをかけるなどして賑やかにするといいでしょう。ビデオではそうはいきませんけど。

あれから10年。ここでの撮影は、結局、この1度キリになっており、今この場所がどうなっているのかは全く分かりません。

平成19(2007)年6月11日