ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

8775列車

DF200が増備を重ね、DD51の牙城を次々に崩していっても、石油輸送だけはDD51が踏ん張っていましたが、いよいよそれも危うくなってきた頃のこと。

8775列車にDF200がハンドル訓練だかで付くという噂を耳にして、ダメ元で撮影に出かけました。場所はサッポロビール庭園駅運転停車があって、もしDF200が付いていなくても、3059列車が追い抜き、貨物列車が貨物列車を追い越すというシーンが撮れるだけでも儲けモノと考えたからです。

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幸い、噂通り、DF200+DD51でやってきました。
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DF200-12+DD51 1089
異形式重連は、ハンドル訓練以外ではほとんど見たことがありませんが、この数年後に函館本線の貨物列車で短期間ながらDD51+DF200重連が実現します。どちらかは回送でしたけどね。

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3059列車 DF200-101が追い抜きます
別の日にDD51頭でも撮っておけばヨカッタと、今にして思います。

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列車3本並び。

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8775列車は発車直後、トワイライトエクスプレスとすれ違いました。

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これに気を良くして、翌日も撮影に行きました。編成を撮ろうと西の里へ。
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西の里(信)→上野幌
機関車は前日と同じように見えました。
更に欲張って次の日も。
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恵み野→島松
普通にDD51単機牽引に戻っていました。まあ、2回撮れたから贅沢は言えません。
何か以前、同じ記事をアップしたような気がしますが、還暦をとうに過ぎてボケて来たということでご容赦を。

平成19(2007)年1月16~18日

ビデオ編集はのらりくらりと進めています。調べ物をするのに時間がかかっているからなのですが、調べているうちに眠たくなってくるので更に遅延してしまいます。それでも本編とエンディングは固まりつつあります。問題はオープニング。ナレーションがモノを言うところなので、一番、頭を使います。国語力も創造力も乏しい自分がビデオ制作をやるなんて、世の中を甘く見ていますね。おっと、若い頃は数学や物理が苦手なのに、土木屋だったんだ。土木屋を続けていたら、絶対に事故を起こしていたな。ビデオ制作なら、しくじっても人が傷つくことはないからまだマシだ。