ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

土佐久礼で

前日の讃岐相生では、海バックのシーンがイマイチだったこともあって、この日も海バックに挑戦すべく、土佐久礼に参りました。
川奥信号場から荷稲駅へ出て、そこからキハ65に乗車、土佐久礼に到着したのは15:04。前日同様、もう夕方近い時間帯。
当時使用した、古い5万の地図を見てみると、どうしてこの場所で海バックを撮ろうと思ったのか、さっぱり分かりません。普通に考えたら無理と判断する筈。なんせ、トンネル続きの山の中。よほど見通しの利く山の上からでないと海は見えません。

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15:43 土佐久礼→影野 749D
線路の下の道路から這い上がってはみたものの、海は見えません。
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ご覧の通り、カメラを右に振ってもな~んも海は見えないべさ。でも、今頃になって地図をよ~く見てみると、線路下の道を更に左側の山奥へと進むと、山の頂上付近で電波塔に突き当たり、もしかするとそこから海を背景に線路を横狙いできたのではないかと思って、グーグルマップで確認すると・・・横狙いは山陰になって無理だけれど、駅のある平野部は俯瞰できたようです。海は見えそうにありませんが。

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16:14 土佐久礼←影野 752D
更に影野方面へと進みました。記憶にはないけれど、しっかりトンネルの中を歩いたようです。他に道はないし。トンネルの上に上がると、かろうじて海が見えました。もうこれで勘弁だな。

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16:20 土佐久礼→影野 あしずり5号
運転士に姿を見られたくなかったのか、後追いで撮影しています。当時でも、こんな場所で姿を見られたら怪しまれそうと不安に思ったのでしょう。実際、怪しい雰囲気の写真となりました。それにしても、ひょいひょいトンネルの上に上がっていたようです。

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向こうのトンネルの先に信号機が見えるので、土佐久礼方面を見ているのだと思います。この後、トンネルの中を歩いていったわけです。いかんねえ、こんなことしちゃ。

後日、とある鉄道の書籍(※)を見ていたら、この付近で撮影した写真が目に飛び込んできました。撮影者は北海道在住のMさん。鉄道雑誌でしばしば御名前をお見掛けする方で、クマさんとお友達になっているんじゃなかろうかというくらい、道なき道の山に登り、目もくらむような俯瞰写真で何度も溜息をつかせてもらっていました。その目に飛び込んできた写真こそが、まさに私が撮りたいとイメージに近いものでした。かなわんなあ~。

※「全線全駅鉄道の旅 別巻 フォトギャラリー鉄道写真 P.22~23」(小学館

昭和59(1984)年3月18日