ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

九州のED76

当時は貨物列車や客車列車がそこそこ走っていたので、ED76の姿をよく見かけており、それらの画像を少しだけ貼り付けます。

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瀬高(せたか)駅(鹿児島本線

博多で「あさかぜ1号」から「有明11号」に乗り継いで最初に降りたのはこの駅。佐賀線(瀬高~佐賀)の接続駅でもあります。

 

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13:07 船小屋→瀬高 1091列車 ED76 1001

佐賀線の分岐付近の踏切へ移動します。高速仕様の1000番代のトップとは縁起がいいかも。踏切のすぐ上には陸橋があって強い陽射しを避けることができるので、このまましばし腰を据えます。

 

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14:06 瀬高→船小屋 194列車 ED76 58

0番代も1000番代もほぼ同じ車体であるのがEF65とは違うところ。EF65の1000番代は重連総括するために貫通構造となっていますが、九州のED76は総括制御非対応なので非貫通です。(総括制御だからといって必ずしも貫通構造になっているわけではありません。)北海道の500番代は総括制御対応の貫通構造となっていますが、重連運用は滅多に見たことがありません。北海道のED76は九州のED76とは別物だと言われていますが、別形式だと組合がガーガー騒ぐので同じ形式にしたんだとか。

 

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15:04 船小屋←瀬高 5164列車 ED76 1017

 

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15:19 瀬高駅 5160列車 ED76 35

北海道と同じく、ナンバーのブロック化が進行中のようです。

 

因みに佐賀線の列車はこんな感じ。

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14:31 瀬高→三橋 530D

ストリートビューを見ると、2枚目のレンガ造りの建物は古賀窯業のもので、後ろの慈久園の煙突とともに今でも残っているようです。

一方、1枚目の背後にある「住友セメント」ですが、今では更地になっているようです。

 

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クッソ暑いながらも移動します。赤間のカーブへやってきました。瀬高と違って、陸橋の日陰はありませんが、日没後なので陽射しにやられることはありません。でも暑い。

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18:46 赤間←東郷 みずほ ED76 9

 

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不明 東郷→赤間 不明 ED76 2

メモに残していませんが、19時前後なのは間違いありません。

 

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19:16 赤間駅 さくら ED76 31?

 

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19:29 赤間駅 5160列車 ED76 35

瀬高駅で迎え撃った列車を赤間駅でも迎撃しました。

 

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初日から汗まみれの撮影ですっかり疲れましたよ。

 

昭和59(1984)年7月26日