ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

大張野俯瞰 望遠で

6日未明の地震により、今夜21時まで停電で何もできませんでした。ご心配をおかけしました。

さて、大張野駅から線路伝いに歩いて目的地に到着。早速、伐採されたハゲ山に上がりました。おそらく、車窓から目を付けていたのだと思います。望遠と標準系の2カメで撮影しましたので、今回は望遠で撮った写真をご覧下さい。といっても、たった3枚だけですけど。

イメージ 1
8:11 羽後境大張野 急行「おが」
かつて「走るホテル」とまで言われ絶賛された20系客車も、この当時は特急運用から急行運用へと格下げされておりました。でも、その編成美は変わりません。

イメージ 2
8:34 羽後境大張野 急行「津軽
望遠では前は写していません。14系のハザとハネの編成は、急行「まりも」を思い出します。この1年前までは「津軽」も20系でした。JRになってからは運転経路が変わり、583系電車そして485系電車と車両は変遷し、平成5(1993)年に廃止されてしまいました。もう「出世列車」という言葉自体が過去のものになってしまいました。

イメージ 3
8:43 大張野羽後境 つばさ4号

以上、3本の列車を撮影して丘を下りました。写した列車は3本だけですが、フィルムは連写して何十枚も使っています。下手な鉄砲は数撃っても当たらない。次回は、標準系で撮影した同じ列車をアップさせていただきます。

これまでアップする時刻は予約で翌朝にしておりましたが、今回から素直に、アップした時刻のままと致します。

昭和59(1984)年9月23日

東日本大震災の時もそうでしたが、今回の地震でも電力会社のほころびが見えたような気がします。誰の責任とか追及しても仕方ありませんが、ふんぞり返っている高給取りの連中は予想される危機管理を真面目にちゃんとやってきたのかと疑いたくなります。北海道ほぼ停電ってどんなシステムだよのレベルです。せっかくの本州からの給電もできないし。とはいえ、復旧にあたった方々には本当に頭の下がる思いです。アホな上司を持つと部下が苦労するのはどこの職場も同じですね。