ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

未明の秋田駅

9月も下旬ともなると、朝方はちょっと冷え込みます。でもこれが結構すがすがしくて目がいっぺんに覚めるわけでして。駅近くのホテルを朝暗いうちに出て秋田駅のホームで朝焼けを拝みました。
本当なら夜行車中泊でという予定でしたが、前日の板谷での撮影がちょっと体に堪えたのか、秋田駅で下車して近くのホテルで休養しました。たまには人間らしい行動を取らねば身が持ちませんね。

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羽越本線の新潟行きL特急「いなほ2号」
5時半前です。貫通形の200番代と北海道形の1500番代で編成の前後を固めます。

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新津行きの832列車でしょうか。それとも院内行きの1428列車でしょうか。ED75 746牽引の50系客車。

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男鹿行きの121Dかな。単に100番を撮りたかっただけ。

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スハフ42 2249

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スハフ42 2231
以上の写真の記憶は全くないのですが(毎度のことで恐縮です)、上の2両の旧客は貨車に連結されています。貨物で回送されているところだったのでしょうか。

秋田から5:33発の624Dで大張野へ移動しました。大張野には5:56に到着。その時の記事はアップ済ですが、ネガでもちょっぴり撮影しておりました。
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6:09 羽後境大張野 1441列車 ED75
最後尾のワキみたいな車両はマニ44でしょう。従来のマニ60やマニ36の置き換え用として新造された形式です。それにしても、ちっちゃな貫通扉は実際に使われていたのでしょうか。

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羽後境方面に移動してこんな場所に三脚を立てています。今なら完全にアウトですね。てへ。

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6:44 大張野羽後境 寝台特急「あけぼの3号」 ED75 777
せっかくのブルトレも、ヘッドマークがないと、ホント味気ないです。

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6:49 大張野羽後境 3172列車 ED75 761
誰が呼んだか「レッドトレイン」。確かに機関車との統一性は立派です。でもやっぱり旧客の方が見応えがあります。あくまでも個人の感想ですけど。ED75 761は後にED79 105に改造されて青函トンネルをくぐるようになります。

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7:16 大張野羽後境 441列車 ED75 720
レッドトレインでも9両編成ともなると見応え十分ですね。
ED75 720は後にED79 104に改造されて青函トンネルをくぐるようになります。

この続きは過去の記事を参照して下さい。探すの面倒ですけど。

昭和59(1984)年9月23日

夕べ積もった雪を、夜中に除雪車がやってきて道路の両脇に掻いていきましたが、それがガチガチに固まって固い~の重い~の。今朝は4軒の除雪をやってきたので、もう体がガタガタです。筋肉痛間違いなし。
ところで、ゆうべ、とうとうプリンターがダメになりました。だましだまし使ってきましたが、命運尽きたという状態です。同じ機種のものをヤフオクで探しましたが、めっちゃ高いか、安ければ動作不安なものばかり。「未開封格安!」と謳いながら、定価の3倍とかの価格ってどうよ。中途半端な中古を買うくらいなら、思い切って新品を買ったほうが何かと安心です。でも惜しいのは、大量に買い置きしていたインクタンクです。古い機種用のインクタンクは、新しい機種には使用できません。このあたり、メーカーの汚いやり口にしか見えません。インクは本当に高いです。年賀状も印刷しなくちゃいけませんし、またインク代でお金が吹っ飛びます。古いインクもヤフオクではそれなりに取引されていますから、それで少しは資金を回収しましょうかね。

昨日、古い音源からようやく1枚、CDが完成しました。73分28秒という、収録時間カツカツです。国鉄最後の日を上野駅で生録したもので、臨時列車の「JR北海道号」に群がる喧噪夥しい雰囲気や、駅アナウンスの随所に飛び出す「国鉄」という言葉に、当時の自分の心境がまざまざと甦ってきます。
次回作は「北海道鉄道百年記念号」という乗車記録ものを予定していますが、おとといは「からまつ」や「はやたま」の乗車音に浸っていたり、その以前にも地上駅時代の夜の札幌駅で、次々に発車してゆく「利尻」「狩勝7号」「大雪9号」「からまつ」「すずらん6号」といった夜行列車の駅アナウンスに聞きほれたりしていたので、急に気が変わるかもしれません。
ジャケットデザインは気に入らないから作り直しだ。