ろくに勉強もしなかったので落ちて当然の大学受験、しかし予備校には見事、無事入学できました(笑)。
その入学式の朝、新琴似駅から札沼線に乗車しました。予備校は桑園駅のすぐそばなので、通学には札沼線を使うことになります。初めての汽車通です。当時、まだ新川、八軒の両駅はなく、新琴似の次が桑園だったので、わずか1駅だけの乗車でしたけど。
新琴似駅。補修工事中。
この日、私の前途を祝すかのような晴天に恵まれました。予備校の入学式ですが、なぜか鞄の中にはカメラが入っていました。
入学式のことは全く記憶に残っていないのですが、その帰りに東急デパートへ寄りました。漫画の神様のサイン会があるからです。
生憎と整理券は配布し終えた後で、サインを頂戴することはできませんでしたが、写真は撮らせてもらえました。思ったよりも大柄な体格で始終にこやかな表情で、サラサラとあっという間にキャラクターを描いていらっしゃいました。この前日、妹はしっかりとサインをもらっており、それに触発された次第です。
生で漫画を描く巨匠の姿に満足し、その幾分高揚した気持ちを抱きながら札幌駅へ向かいました。
特急「おおぞら」
メモは全く取っていないので、列車の説明は抜きということで。また、ネガフィルムのために傷や乳剤落ちが甚だしく、真面目にレタッチする時間はないので、ほどほどで済ませています。
西2丁目通りの踏切に架かる跨線橋からの眺めです。
普通列車も到着。
急行列車(回送列車かもしれません)が発車です。
先頭はキハ27 126号ですが、125号~129号の5両は塗装がプチ変形車です。窓周りの朱帯の高さがキハ28と同じで、キハ27本来の高さよりも100mm広くなっています。隣のキハ56の出入り扉の部分で比較していただければ、その違いが分かると思います。
この踏切、子供の頃にはだだっ広く見えましたが、大人になってから見るとヤケに狭い。
急行列車(回送かも)の発車に導かれるように「おおぞら」も発車してゆきました。
DD13 126
キハ22による急行「大雪」
急行列車でキハ22に乗車すると凄く損した気分になりました。
ついでなので、帰りにも撮っておきました。朝に比べて陽の向きが変わったくらいで、工事の進捗はあまり感じられませんでした。
昭和51(1976)年4月18日
ついでなので、特に意味はありませんが貼っておきます。
昭和53(1978)年11月3日
夕べもついヤフオクでポチってしまいました。「鉄道ファン」誌の古~い一桁号や二桁の初期の号が大量に低価格で出品されており、開始価格で入札して8点を落札できました。送料を含めても、当時(1961年~1963年)の定価よりも少し高いだけです。このところ、最新の鉄道雑誌は全く読んでいませんが、古い雑誌ならほぼ毎日読んでいます。お陰で頭の中はいまだに国鉄時代です。
今日中には友人に頼まれていたビデオ編集が終わりそうです。台湾では大規模な脱線事故があり心が痛みます。