ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

飯山線走破

走破、といっても、私が走ったわけではありませんが。

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143D 上田行き 長野駅
この車両に乗車しました。撮るならキハ55ですが、乗るならキハ28。乗り心地いいし。でも乗り心地がよかったせいか、どうも居眠りに終始していたようで、何にも記憶がありません。いつものことですが、ホント、乗り鉄失格ですね。車内録音だけはマイクと録音機を放置しながらもそれなりに記録されていますが、記憶外の事とて、懐かしさはありません。逆に、それだからこそ新鮮に聞くことが出来たりして。

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そうこうしているうちに十日町駅に到着しました。24分間も停車するので駅の外に出てみました。一部しか写っていませんが、一応、駅舎を撮っただけでも善しとしましょう。

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駅前案内板はよく見かけましたが、こういうのを写真に撮って集めている人もいるのかもしれません。街の様子は年々変わるでしょうから、どういうタイミングで張り替えるのでしょうね。

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ホームに戻って車両撮影です。これは乗車してきた列車ではありません。越後川口発、十日町駅止まりの148Dでしょうか。

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乗車してきた列車のは157号。

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キハ40 558
扉付近の縦樋が内蔵され、側面は幾分すっきりした印象です。554号以降がこのスタイル。北海道のキハ40はガッチリ外付けです。

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キハ40 557
同じキハ40でも、窓の形が違うだけで全然別の形式に見えます。おそらく、組合が煩くなければ北海道のキハ40はキハ41になっていたような気がします。(すでにキハ41は改造車で実在しますが。)キハ20とキハ21の関係のようにね。でも組合は形式が増えるのを嫌っていたので、番代区分で対応したそうです。その典型がED76形式500番代。先行していた九州のED76とはほとんど別物の機関車ですが、車軸配置が同じでSG搭載ということで同じ形式にしてしまいました。キハ10とキハ11、キハ35とキハ36などは便所の有無で形式を分けていた、そんな時代もありましたね。

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こちらが乗車してきた143D。ここまで6両編成で、ここで4両を落としてこの先2両編成となります。

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で、終点の越後川口駅です。

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職員用の通路です。渡ってはいけません。すでにサボは差し替えられて156Dとなっています。

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17:17発 急行「佐渡3号」
上野発新潟行きの列車で、特急「とき」とともに高崎・上越線優等列車でした。これで長岡まで出て、そこから今度は特急「白鳥4号」に乗り換えて富山に出ました。そこでこの日の旅はお終いです。寝てばかりだったような気がしますが、一応、お疲れ様ということにしておきます。

因みにこの日乗車した車両は
クハ165-160(423M 甲府06:30→小淵沢07:20)
キハ52 101(229D 小淵沢07:27→上田10:32)
クハ189-2(あさま3号 上田10:41→長野11:09)
キハ28 82(143D 長野13:16→越後川口16:58)
クモハ165-20(佐渡3号 越後川口17:17→長岡17:38)
クハ481-254(白鳥4号 長岡17:44→富山20:13)
全部、違う形式でした。

昭和58(1983)年7月16日