蒸機を撮影に行く前日に、札幌駅で何となく撮影しているのですが、それがどういう思いによるものであったのか、自分でもその行動は不可解です。その3日前には帯広へ行き、士幌線と広尾線をちょっとかじる程度の撮影をし、この翌日には近場の錦岡付近で撮影しているので、春休みということで時間はたっぷりあったとしても、小遣いはそんなになかった筈だけに、フィルムを蒸機以外に消費したことが自分でも信じられません。
メモがありませんが、写真の中の時計や当時の時刻表からある程度は特定ができました。
キハ82 1
10:25発の特急「北斗3号」。堂々の10両編成。勿論、食堂車付き。
10:31 後の写真から判断して、6番線に到着の快速列車3525D。札幌から急行「天北」になります。所定7両で、後ろ2両は名寄で切り離します。グリーン車は2両目で、影に紛れてよく分かりませんが、屋根上のクーラーでそれとなく判別ができます。
ちらっと見える列車案内表示から、11:10発の急行「ちとせ4号・いぶり」と判明。これにより、他の列車も特定できました。
小樽から11:11に到着し、11:15発の滝川行き3857M。
11:41発の831列車の入線。4番線であることから特定できました。
11:54 運炭列車が通過。当時は数多く運転されていました。これは手宮からの返空でしょう。どこの炭鉱へ向かうのかは分かりません。DD51のスピーカーが上を向いているのが滑稽です。どうしちゃったのでしょう。
撮影はここまでで、この後、どうやって帰宅したのかは全く不明。高校3年生になる直前の春休みでした。
昭和50(1975)年4月5日