ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

無人の滝里へ

滝里ダムの建設によって、滝里駅とその周辺はダム湖に沈んでしまうということで、沈む前の姿を「フラノエクスプレス」で撮っておきたくなりました。滝里へは2回目となります。

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10:19 野花南駅 440Dと列車交換(437Dより)
札幌を「ホワイトアロー1号」で発ち、滝川から437Dに乗り換えました。437Dは釧路行きです。

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10:34 滝里駅 フラノエクスプレス2号、437D
滝里駅の広々とした構内で、2本の列車が出会います。437Dはキハ56系による2連(キハ27 206+キハ56 116)ですが、後にキハ40に置き換えられます。

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10年前に友人と来た時には、外壁は木板が剥き出しでしたが、サイディングらしき工法によりこざっぱりした姿になっておりました。もう利用客はほとんどいないのに。なにより住民がおりません。
北の国から」では蛍ちゃんが勇次君と駅近くの川沿いでデートをしましたが(そして木の幹に二人の名前を彫った)、一体、富良野からここまでどうやって来たんだか、と余計なことが気になったものです。

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駅から国道へと伸びる駅前通り。かつては道の両側に住宅が建ち並んでおりました。駅舎横にはライトバンが停車していたので、除雪要員さんが駅舎内にいたのかもしれません。この道の右へカーブする辺りで左に折れて線路と並行して進みます。

この1年後に車で訪れた時の動画です。

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赤矢印が滝里駅。雪が少なく、歩きやすくて助かりました。ここで踏切に出ました。前方が富良野方面で後ろが滝川方面になります。途中、丸屋根の大きな倉庫がありました。建設資材でも保管していたのでしょうか。

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踏切の先はいきなり山道になりますが、どこへ向かうのか分かりません。10年前を思い出しながら、線路伝いに進みます。空知川が堰き止められて、この辺り一帯はダム湖に沈んでしまいます。

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左の少し高い場所の平地が新しい国道でしょうか。その下の低い所に現役の国道38号線が走っています。

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滝里方面を振り返ります。

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13:09 野花南←滝里 442D(幕別始発、滝川行き)
どこをどう登ったかなんて覚えちゃいませんが、林道らしきところに出ました。でも肝心な場所はスッキリ見えません。

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14:01 野花南→滝里 439D(滝川発、落合行き)
遠くはスッキリ見通せる場所に出ましたが、手前の肝心の橋梁はどうにも抜けません。林道らしきところをウロウロしたり、斜面を上がって場所を探しましたが、ダメでした。あんまり動きすぎると、せっかくおねんねしているクマさんを起こしそうな気がしたので、それ以上は自粛しました。

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14:10 野花南→滝里 急行「狩勝」
3両とはいささか寂しい編成ですが、石勝線が十勝へのメインルートとなった今、仕方ありません。

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15:27 野花南→滝里 フラノエクスプレス3号
お目当ての「フラノエクスプレス」ご登場。到着した頃のお天道様は、とうとうその後、一度も顔を出してくれませんでした。

最初は滝里発16:02の444Dで帰ろうと考えていたのですが、駅へ戻るには時間的にキツそうだし、せっかくなので明るさギリギリの4441Dまで粘ることにしました。

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15:58 野花南→滝里 4441D
札幌から滝川までは急行「そらち1号」、滝川から新得までは普通列車の4441Dとなっていました。下山する途中で撮りました。最初に乗る予定だった444Dは、この後、木陰から見送るだけでした。

冬至を過ぎて間もないので日没はめっちゃ早く、急いで山を下りました。空知川の橋梁の先あたりでほぼ真っ暗になってしまいましたが、懐中電灯を用意していたので問題ありません。しかし何故か突然の空腹に襲われて歩くのがとてもしんどくなりました。駅までの道のりの遠かったこと遠かったこと。重要なので繰り返してみました。

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17:36発の池田行き443Dに乗車して一旦富良野へ出て、そこから446D(落合発)で滝川に出ました。滝里から乗車した時、車掌さんのビックラこいた表情が印象的でした。周遊券は持っていたけれども、記念にと思い、富良野までの車補を作ってもらったのですが、その時「幽霊かと思いました」と言われてもうた。

昭和64(1989)年1月6日